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フーコー

現代の哲学者・心理学者・精神科医。

知は権力である

フーコーは、知を権力だと考えた。また、人間の持っている規範や規則は、訓練であり、それは政府や権力による訓練だ、と言うところから、哲学を考えた。

後日注記:フーコーから見ると、「知識そのものが権力」であり、同時に「規範そのものが訓練」である。人間は学校と国家によって飼いならされているのである。

後日注記:実際のところ、フーコーは「知っているということそのものが、人々を王と奴隷に分ける」ということを言いたいのではないかと僕は個人的に思う。知っているということ、知を与えるということは、戦う中で王になるということであり、権力そのものである、ということを言いたいのではないか。たとえば、それは狂った人間が全ての知識を持っていて、裏側を知っていて、その知識によって戦争さながらの権力を持つ、ということではないかと僕は勝手に解釈している。

狂気の哲学

フーコーは、狂った人間から哲学を考える。

後日注記:フーコーは、精神疾患を持つ狂った人間を狂気と考えない。彼らもまたまともな人間のひとつの表れにすぎないのである。

知識や権威は世界が変わるのを邪魔している

僕は、フーコーの哲学は、単なる狂気ではなく、僕が考える「世界を変えられるようにする」という考え方があるとして、その上で「知識や権威そのものが支配になっている」ということではないかと思います。

この世界には、学校や歴史など、さまざまな「知的権威」があります。もっとインターネットを見れば、2ちゃんねるなどもそうした最たる例です。

こうした知識や権威は、それが「人々にとって評価されている」ということがそのまま「権威」となり、人々を「支配」しているのです。

同時に、規則や規範は、「人々がそのように考えるように仕向けられた支配」であると言えます。

フーコーはそのように、知識や規範そのものを権威であるとし、「支配者による洗脳」であるとしたのではないでしょうか。

そして、僕個人の考え方を言えば、「世界を変えられるようにする」という意味で、こうした「古い権威」の全てを一掃する必要があります。この世界は、権威と訓練によって「自由なのに何も変えられない」ようになっています。知識と規範が、この世界が人々によって自然に変わっていくことを邪魔し、防いでいるのです。

著作

「言葉と物」、など。