哲学に戻る

ヘーゲル

ヘーゲル

ヘーゲル。

精神の成長

ヘーゲルは、この世界全体の発展を「世界精神」だと考えて、その精神がいかにして発展をしていくかを考えた。

弁証法

ヘーゲルは弁証法で有名だが、弁証法は、「意見Aに対して批判的なBがあり、それが統合されてCが出来て、その上でCに対して批判的なDがあり、それが続いていく」と言うものだ。

ヘーゲルは弁証法を歴史に応用し、精神の段階を「合一から絶対に至る」ものとした。

歴史

ヘーゲルは、歴史を弁証法的な、絶対精神へと向かっていく世界精神の目覚めだと考えた。

精神

ヘーゲルの精神論は、自己意識が喪失や確執とともに大人になっていき、共同性に目覚め、啓蒙や理性主義へと発展して、最後は道徳的良心と言う「絶対知」に到達する、と言うものだ。

絶対主義的国家論

ヘーゲルの国家論では、絶対主義のプロイセンを最終的な理想・終着点だと考える。

その思想は全体主義的で、集団は国家のためにあり、集団の全員より国家の方が大きい、とするものだが、当時はそれが進んだ考え方だった。

ヘーゲルの精神論

ヘーゲル『精神現象学』(その2) - 苫野一徳Blog(哲学・教育学名著紹介・解説)より。

ヘーゲルの精神論は、以下のような段階を辿る。

・自己意識 - 一切はわたしにとってある。

・相互承認 - 自己意識は、互いが「自分は自分だ」という意識を持った存在同士であることを、相互に承認しあう必要にせまられる。

・主と奴 - 「自分は自分だ」と主張し合うそれぞれの自己意識は、承認のための戦いによって主人と奴隷とに分かれる。

・ストア主義 - 「自分は誰が何と言おうと自分なのだ」と強固に主張する意識のこと。

・スケプシス主義 - 他人を否定することで自分の優位を保とうとする意識のこと。

・不幸な意識 - 何か「絶対的なもの」を崇めて、自分だけは確かにそれを知っていると信じることで、自分の価値を守ろうとする意識。

・理性 - 自己意識は、自分の中だけで自分の価値を守ることが、本当は不可能だということに気づく。

・観察する理性 - まず自然を観察し、自然の中に自己を見出そうとする意識。

・行為する理性 - 現実の他者との関係の中で、他人からの承認を得ようと行為する意識。

・人倫 - 行為する理性は人倫の世界を作る。人間の社会や共同体における倫理のあり方を形にする。

・快楽 - 恋愛の意識。

・必然性 - 人間は快楽だけを求めて生きることはできない。世間の必然性(さだめ)や現実の壁がある。

・心胸の法則 - みんなの幸せが自分の幸せと主張する意識。

・錯乱 - 実はそれは不可能だとやがて知り、自分の思うみんなの幸せは、他人が思うものとは異なる。この意識は錯乱する。

・徳の騎士 - 「みんなのため」を妨げる他人を正してやる行為。現実は甘くなく、世直しを叫んでもそれは一人よがりの正義に過ぎない。

・事そのもの - 理性は、ついに気がつく。

快楽にも、みんなの幸せの漠然とした空想にも、素朴な行動による実現も、どれも現実性を持たない空しい意識だ。

だから、我々は、何らかの行動、仕事、作品を世に示し、それによって他者からの承認を得られるかどうか、常に検証しなければならない。

それらが、本当の「事そのもの」になっているか、他者に投げかけなければならない。

この「事そのもの」を自覚することこそが、「理性」の最高境位だ。

「事そのもの」とは、わたしにとっての本当の「事」が、他者にとっても普遍的な、一定の不変性を獲得した本当の「事」たり得たものということ。

また、この「事」を投げかけ合う制度性のこと。

自分にとっての「事そのもの」が他人にとっても本当の「事そのもの」たり得ているかどうか、一切の良い・正しい・本当は、この観点からでしかはかれない。

このことに気づいた意識が良心であり、ヘーゲルいうところの絶対知である。

ヘーゲルの歴史論

ヘーゲル『精神現象学』(その3) - 苫野一徳Blog(哲学・教育学名著紹介・解説)より。

・古代ギリシャ - 「人間のおきて」と「神々のおきて」との対立。

・古代ローマ - 個人が個人として「権利」を持っている。個人と共同体との素朴な合一の段階は終わっている。だが、ローマ法において、本当に自由なのは皇帝1人だけだ。

・教養と信仰 - 教養は、「自分から疎遠になった精神」であり、自分のことを客観的に見られる精神のこと。全てが空しくなったとき、人は信仰に救いを求める。だが既に自己意識に到達している精神は、それが自分の作りだしたものだということも知っている。

・啓蒙と有用性 - 啓蒙が登場する。信仰などという非理性的なものに頼らず、徹底的に理性的に考えよとする。信仰は転落する。啓蒙は精神の帝王に上り詰め、一切は「有用性」なのだという。信仰は必要なく、すべては「自分にとってどのように有用か」と考えるべきとする。

・絶対自由 - 有用性で考えるようになった啓蒙は、やがて神や王は、決して絶対的な存在ではないと気付く。これを打ち倒す必要がある。そうしてフランス革命が起こる。だが、それは絶対自由の精神に行き着く。一切は自分のためにあるのだから、それが主張するのは絶対自由であり、それは恐怖政治だ。

・道徳性 - そうして破壊の狂暴を経験し、精神は道徳性に目覚める。自らの考えは、他者にとっても本当に普遍的か。道徳性は、そのように内省する。

・神の要請 - しだいに、正しいことと幸福とが一致するように、欲望や衝動とも一致するように、神の存在を要請する。

・良心 - 精神は良心の境地、具体的な行動を通して「事そのもの」を目指して精神の境位に到達する。

・行動する良心と批評する良心 - 行動する良心は、「事そのもの」を目指して実際に行動する、そうした良心だが、ここに批評する良心が批判的に現れる。

・絶対知 - 宗教は、精神の本質を理解した境位である。だがそれは本質を神という概念で表現する。他方で、これを概念的に把握する、絶対知に至る。

生の本質

ヘーゲルは、「合一と分離の合一」が生の本質をなすと考える。(【第265回】『ヘーゲルとその時代』(権佐武志、岩波書店、2013年)より。)

ヘーゲルの言葉1

「超解読!はじめてのヘーゲル『精神現象学』(竹田青嗣・西研)」より。

“言いかえると、魂(ゼーレ)が己れの本性によってあらかじめ設けられている駅々としての己れの一連の形態を遍歴してゆき、己れ自身をあますところなく完全に経験し、己れが本来己れ自身においてなんであるかについての知に到達して、精神(ガイスト)にまで純化させられるさいの魂の道程であると、この叙述はみなされることができるのである”―ヘーゲル

ヘーゲルの言葉2

“事そのものは、(1)その存在が、個別的な個人の行為でありすべての個人の行為であるような、一つの本質(実在)であり、(2)その行為がただちに他に対してある、すなわち一つの事であり、この事は、万人のまた各人の行為としてある。さらに(3)あらゆる本質の本質であり、精神的な本質であるような本質、である”―ヘーゲル

ヘーゲルの言葉3

“したがって、この断言が断言しているのは、意識は自分の信念が本質であることについて信念をもっているということである”
“この断言という言明が、それ自身において自己の特殊性という形式を撤廃する所以のものであり、自己は言明することにおいて自己にとって必然的な必要な普遍性を承認している”
“美しい魂と呼ばれるひとつの不幸な魂の光輝は内面において次第に消え失せて行き、そうしてこの魂は空中に失せる形のさだかでない靄のようになって消え去るのである”―ヘーゲル

著作

「精神現象学」、「法の哲学」、など。