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=2016-10-29=

今日は、親戚の都合で家族とともに福山へ行ってきた。

日本シリーズは、ありえない展開になった。広島は負けた。

ただ、広島は、来年もリーグ優勝すれば良い。

レアードが打つ前、僕は悪い予感がすると言ったが、それが当たった。

今日は、父親の友人が芋煮会に来ていた。その人と一緒にテレビを見た。

悲惨なままで良い。悲惨なままにすると、良い。それで、日本が治るだろう。

気が付くこと。誰にも気付かれないところで気付かせると、世界が気付く。

気付く方が気付かない。気付かない方が気付く。

自分の気をつけて、自分だけの範囲で見ていると、治る。

広島以外が悲惨だと言ったが、今日行くと、違った。自分は分かっていない。

スパンを短くすること。長いスパンも良いが、長いスパンだけでは、馬鹿になってしまう。

昨日と今日は違う。

もっと、長く続くように考えるのではなく、短く続くように考えること。

誰でも、馬鹿になるのを拒むと馬鹿になる。

認知症は、長すぎるスパンのせいで起きる。子供は、短いスパンで考える人間が多い。

あるいは、超長い、一億年のスパンになっているから、超短くしても良い。

1時間で1億年生きるのが悪いから、1年で1秒しかすぎなければ良い。

そういう、短いスパンも、それはそれで、悪い。

色んな反応を、馬鹿にすれば良い。賢く驚かないのが、一番分かるようで、認知症になる。

色んなものになって分かっていた。心が「なる」ことで分かった。

考え方を応用していた。例えば、「食べる」と言う考え方も、色んな場面に対して応用出来る。

昔は、「支配から解放されて自由になる」と言うことを、論理的に考えていた。

支配されて、自由に出来ない状態が、自由に出来るようになる。

それは、論理的に、正しいように見えた。

だが、それは、自分が支配者になりたいだけだ。そして、人間の出来ることを平等にしたいだけだ。

ただ、問題はそこではない。

可能性として潜在的に「出来る」状態と、本当にそれをするべきなのかは、違う。

論理的に、麻薬を出来るべきである、と言えるかもしれない。

だが、麻薬は、「興奮と快楽の後で苦しみが生まれる」と言う意味で、「それをすべきか」を考えないといけない。するべきだ、する権利がある、自由だ、と言うが、それで、麻薬の中毒性に対する解答にはなっていない。

ただ、そういう風に、自由になって独立性が生まれ、把握と変化の可能性から「出来るようになる」や「自由が拡大する」と考えていたのが、昔だ。