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=2016-10-27=

NOVAに行ってきた。

精神は、使うべき時に使わず、使わないべき時に使っている。

いつも、それが分かっていない。逃げ出したいだけなのに、立ち向かう。それを繰り返す。

みんな、知らず知らずのうちにヒトラーになっている。ならないようにした方が良い。

ヒトラーが、こういう風に、みんなのことを自分にして、馬鹿にしている。

ヒトラーは悪い。ヒトラー本人も分かっていない。

ヒトラーになりたい自分が悪いから、ならないようにした方が良い。

昔は、意識のようなことを良く考えていた。

右足の精神は、使ったり、使わなかったりを、適切にやっていくと治る。

左足の精神は、意識を思い出して、意識を知ると治る。

意識を知るのが怖かった。意識が何もなくなっているから、意識を知ると治る。

意識を思い出すようにすると、頭が賢くなる。

馬鹿になった人間は、意識を思い出せば良い。回想から、全ての意識が分かる。

全部の構造を作って、全部を包括的に融和して、一度に全部をする、そういうことをしていた。

それは、頭が辛いだけだから、止めた方が良い。

一度に全部をするために、全部の構造を作る。最近は、それで分かっている。

自分は悪いが、強い。この全世界を、お釈迦様が孫悟空を自分の手のひらのうちに入れていたように、自分がこの世界を全て分かって支配している。

一度、自分が気付かせるのをやめた方が良い。

自分が気付かせるせいで、みんな、自分が気付かせなければ、分からなくなっている。

気付く、と言う発想が出来なくなった人間が多い。自分が気付かせると、何をしても気付かない。

気付かない世界に、何の意味もない。みんなは、そのせいでおかしくなった。

ただ、賢くなった人間が多い。何も分からないせいで、賢くなった。

自分で気付かせないと、みんなは、自分以外の他のことで気付くようになる。

自分が分からせるのではなく、みんなが勝手に分かるようにする。

そうすると、この世界が、きちんと色んなことをして気付いて分かるように治る。

最近は、続くように生きて、いつまでも気付いているだけの人間が一番多い。

そういう、「気付くだけ」の地獄になっている。

誰が見ても、神が気付かせるのをやめてくれれば良い。

誰でも分かるようで、神は考えていない。

そういうわけで、自分が気付かせるのをやめれば、馬鹿な世界にはなるが、正常な人生になる。

最近は、脳の病気になった人間が多い。気付くだけの人間は、何も出来ない精神病になる。

マイクロソフトなどのIT企業は、コピーや改良したバージョンの再配布を許さなくて良いから、ソースコードだけを公開すると良いだろう。

著作権を持ったままで、ソースコードを公開し、誰でも見れるようにして、パッチを送ることを許す。

オープンソースではないが、バザール開発のように、Windowsを開発することが出来る。

そうすると、開発とその体制が向上して、Windowsが爆発的に発展するかもしれない。

コードの質が高くなって、Windowsが何をしているのか、プログラマが分かるようになる。

ただ、コピーや改良した版の再配布は許さなくて良い。それでは儲からない。

今、.NET関係のコードをオープンソース化しているのは、Linuxに勝ちたい、と言うよりは、.NETのライブラリが何をしているのかを、みんなに見せたいのだと思う。

そして、みんなの手で開発したいのだろう。

アメリカやドイツなどで、優性思想が根強いのは、白人が金髪や青い目をしているせいで、「地球の中で一番優れた生命だ」と言う発想があるのだと思う。

聖書にも、地上を支配するものを神が創った、と創世記に書かれている。

そういうわけで、本当に一番優れた人種は何なのか、ヨーロッパの人種の中で競っている。

ある意味、逆に、「馬鹿だから」とも言える。

B型が血液型の話題をするように、劣っているように見える方が、コンプレックスになって、それを信じてしまう、と言うところがあるのかもしれない(B型を劣っていると言いたいわけではない)。

ある意味、日本人や韓国人にナチのような右翼が多いから、仕方ない。

安心は、必ずしも良いものではない。人間は、安心すると、忘れる。恐怖があった方が覚えるし、恐怖を克服して治すと分かるのが、人間だ。

信じて同じことをするのは賢い。だが、それでは分からない。

疑って、試すこと。それが、真実を見つけるための方法だ。

あとは、精神を分析して、歴史のようなものを辿っていた。

生み出し、変化する歴史を書きながら、「自分が歴史に意見する」ようなことを書いていた。

まず、愛が生まれた。

それぞれは、自由に活動した。そして、強くなっていった。

それぞれの中に、王が生まれた。王は、強権的だったが、最初は自然権のようなものがあった。

それぞれは、信じることを始めた。

それぞれは、疑い、試し、自由に考えるようになった。

それぞれは、後世に歴史の記録と科学の発見を残すようになった。

それぞれは、愛のために、頑張ることで、国を発展させた。

歴史の過程は、自由を知り、存在を知り、愛を高め、発展させていった。

まず、ドイツが強かった。

次に、フランスやイギリスが強かった。

そして、次第に、各地方が強くなった。

発展は、急速に起きていった。

自由になり、進歩させることから、「人間は神となれる」と思っていた。

だが、それは、長くは続かない。すぐに問題が生じて、人類は滅び、過去を克服した。

ここからの世界は、愛を信じる、と言うことの意味を、変えていかなければならない。

おそらく、人類は、昔に戻るだろう。

昔は、もっと、精神分析で、「何も分からず歴史を辿る」ような、そういう文章を書いていた。

歴史に対して自分が意見するのは、昔から良くやっていた。自分を神にして、この世界を導いていた。自分が歴史に向いているように見えるのは、そういう、本当の精神での歴史がもう分かっているからだ。そういうわけで、ロシアを知ったり、中国と対話したり、そういうことが多かった。神との対話とは言うが、そういう「歴史との対話」が一番多かった。

あとは、科学上の発見をしていた。水から生命がどのように生まれるのか分かった。他にも、翼から生命が生まれるとか、そういう詩を書いていたし、次元を無限にするためには、グラフに「沢山の点を同時に取るだけ」で良いとか、あとは、数学は数列を中心にすることで美しく統合出来るとか、他にも、スペイン語と日本語の融和が一番可能性があるとか、そういうことをいつも考えていた。物理は、もっと言葉や感情で行うべきだとか、ブラックホールのような特異点は、重力のバランスから生まれるとか、そういうことを考えて分かっていた。

あとは、おかしな狂った戦いをしていた。間の抜けた馬鹿になったり、世界を止まった心にしたり、精神を火の鳥にしたり、世界の中心で愛を叫んだりしていた。ポルノグラフィティが言うように、空と海が混ざるようなそういう文章だった。

要は、三角形に、もう一点だけ点を取って、直線のように、その四点を同時に取るような、そういう平面を考えると、四次元になる。それは、五次元、六次元、七次元と、永遠に次元が増えていく。

自分でも良く分からない。おかしなことを言っていると思う。

一度、二次元や三次元の平面を一次元の点に「仮置きとしてする」ような、そういう図形を考えると良い。どんどん次元が増えていって、有機体のように仮想空間の限界が増えていく。

数で言うと、(2,3,4)と(5,6,7)と(8,9,10)の図形があったとして、その3つの空間から、さらに三角形の「オーブ図形」のようなものを作ることが出来る。惑星と惑星を繋ぐ星座のような三角形が出来る。

これなら、点を三角形のような図形にするように見えるが、図形にする、と言うよりは、座標にする、と言う説明の方が、正しいだろう。

人間は、本当に、数学が出来ないと分からない。昔は、全部数学的に分かっていた。本当の数学ではないが、命題を作って、証明して、疑って、何が正しいか考えて、実験して分かっていた。積み重ねと言うが、1つ1つの命題を積み重ねて、1つ1つをモデルにして分かっていた。自然のことは、カントのような科学的考え方で分かっていたが、その考え方は、全部数学的な体得の経験から分かっていた。作った科学は、全部数学だった。そして、感情で宇宙のことを分かっていたが、それも全部数学だった。

ただ、数学は、やっている間、何も分からない。大人には何も分からない。大人には、数学なんか分からない大人が多い。数学的な理性は、仕事になって、戦争になって、文章を書くようになって、治すようになって無くなった。自分には、数学的才能や能力はない。あえて言えば、昔のコンピュータをしていた、「自称ストールマン」が数学者だったのだと思う。

それこそ、プログラマには分からない。何も分からないのに賢い人間が多い。

自分は、賢くはない。数学が出来ないのは、宗教の方が良いと思うからだ。それがおかしい。

数学は、具体例だ。色んなことを知っていて、色んなことを思考して、その原理的な正しさが分かる人間が出来る。自分で色んなことを経験して、パソコンのようなことを考えないと出来ない。色んなことを知っていないと出来ないのが数学だ。

自分のような、無知で愚かで盲目的な人間には、数学は出来ない。歴史と哲学をやれば良い。

昔賢かったのは、「正しいことを積み重ねる」と言う発想があった。それで分かっていた。

昔は、人の「雰囲気の流れをつかむ」とか、結構子供みたいな人間だった。ただ、決まるところを考えて、比喩をするなど、洞察力のようなものはあった。ツンツンだったが、人を思いやる優しい心はあった。不良の引き篭もりで、不良タイプではなく、本当にオタクタイプの純朴な人間だったが、最近は不良もオタクもあまり変わらない。ギャルから優等生まで、全員スマホをしているが、そこがおかしいのだと思う。みんなを一番馬鹿な廃人に統一して同じになるのはおかしい。ソ連より悪いのがアメリカだ。だが、それはある意味、当たり前で、仕方ない。

みんな、馬鹿になった。本当に、「全員が虚無」になったのが最近の日本だ。自分のせいに見えて、自分が一番そういう風になる。

昔は、「未来」のようなことを考えていた。思いやりと創造性と経験から社会は生まれる。

今、反アメリカの同盟を日本が中心になって作ると、本当に勝てる。イスラムからロシアまで、最近は反アメリカしか居ない。明らかに、次の大統領はトランプだ。勝てないわけがない。

アメリカの産業で、一番賢いのはITだから、ITが自滅していくように、誘導すれば良い。

それこそ、ITを止めるわけにいかない。IT以外の影響から、ITに意味がないようにすれば良い。

ただ、そういう、「悪く賢い」発想は、止めた方が良い。

昔は、国際関係などを考えて、「ロシア、日本、イスラエルで連合を組む」とか、そういう、ありえないことを言っていた。ある意味、今ロシアとアメリカが「核兵器廃棄」の同盟を結べば良い。オバマがまだやっている間に、ロシアから詰め寄れば良い。それが一番、ロシアの株が上がる。

日本シリーズは、広島が負けた。サヨナラホームランで日本ハムが勝った。本当にすごいと思う。

パソコンを殺せば治る。それも、「分かった」で終わらせるのではなく、継続的に思い出して、常にパソコンを殺せば良い。そうすると、足の精神の一番辛いところが治る。

あとは、分かるのを止めれば良い。そうすると楽だ。

ブッダの教えも、キリストの教えも、「病気や老いで苦しむのは仕方ない(あるいは、何故か)」とか、「相手に右の頬を殴られたら、左の頬を差し出せ」とか、この世界にある苦しみや厄災、不条理のようなことの、「本当に何故そんな苦しみがあるのか」とか、そういうところからスタートしている。そして、「その苦しみを避けようとするよりも、自分の心のことをコントロールしなさい」と教える。

だから、僕のように、苦しみを仕方ないと思って、その原因を自分自身に追い求めるような、そういう人間が一番哲学が出来る。

だが、ちょっと待ってほしい。苦しみがあるなら、その原因を解決すべきだし、今の現代と言う「理想の世界」の中で、そんな苦しみは、出てくることが少なくなっている。

そういうわけで、最近、苦しみを与えない世界になることで、「全員苦しまない世界」になってしまったことで、ブッダやキリストのような賢い人間が居ない。

だから、僕はこの世界を、もう少し違った角度から、「賢いが、苦しまないわけではない世界」にする。そういうものだから、未来は、Linuxのような世界になる。

苦しみを解決し、世界を救うと言う、その「希望の心」は大切だし、その「実践」には価値があるし、そのための「思考」は正しい。だが、それでも、それは「結果的」に、「必然的に失敗する」ことになる。それは、間違っていない。本当に苦しみが無くなってしまうと、この世界には、全く意味が無くなる。空虚のような世界になる。それが、最近の日本だ。

だから、苦しみなさい。耐えなさい。戦いなさい。死になさい。病気になりなさい。諦めなさい。失望しなさい。

そして、それに負けているだけではなく、努力しなさい。頑張りなさい。可能性を広げなさい。

耐えがたい屈辱に耐えている間、あなたは輝いている。どん底の中で希望を信じなさい。

そして、最後に間違えて、自分を責めなさい。必ず、やり遂げると信じて、そのために努力し、限界まで頑張って、失敗しなさい。そして、永遠に耐えなさい。

その、地獄こそ、神なのだ。地獄は、天国だ。地獄を望むこと、それこそ、救世主だ。

あまり意味がないが、これではペテンに見える。ただ、自分の人生を書いているだけだ。

昔は、実地的に世界の環境と経験を知って分かっていたが、最近は、思い出すことと心の対話で分かっていた。最近は、書くことと気付くことで分かる。

一度、世界を、もう気付かないようにする。

みんなは、もっと別のことで気付くべきだろうと思う。

世界観のようなことを言う。社会の実像と把握から可能性が分かるとか、そういうことを言う。

自分は、分からなくなれば、分からなくなるほど分かる。

気付く、と言う意味でも言えるが、人間は、分からない、気付かない、意識しないで分かる。

その後に、疑って1つ1つのことを作りながら、作ったものと照らし合わせて、前提や本質なども含めて、1つ1つ作ったものを分かる。昔は、そういう、「その場その場で作る人間」だった。

例えば、日本語を喋る人間が、「英語圏の人間が聴いていたらどう聴こえるか」は分からないはずだ。同時に、英語やドイツ語がキモく思えても、本当に分かる人間は、それは分からない。

分かる人間は馬鹿だ。分からない人間が分かる。要は、本当に、そういう低レベルな分かることはない方が良い。低レベルを否定すれば否定するほど、高レベルなこと、正しいこと、魂で分かることが分かる。餓鬼よりも菩薩の方が正しいのは、菩薩は魂のレベルで正しいことをしているからだ。それは高レベルだ。だが、宗教的に考えるのは、一番低レベルでもある。そういう風に、信じないように、分かったことを「純粋な経験の過程」として分かって行けば良い。

インターネットの会話と実体験から分かっていた、昔の自分は子供だったが、ある意味、大人より高いレベルのことを全部分かった。そこが賢かった。

魂は、馬鹿なものを賢いものに変える。魂の力は、どんなものでも清らかなものへと変えることが出来る。同時に、地獄の悪魔は人々を不幸にする。悪魔と言うよりは、自分の中にある悪い部分だ。一度悪魔に屈服すると、そこから復活するのは難しい。だが、自分のしていることをきちんと考えれば、きちんと魂の導きへと戻れるはずだ。

もう一度、みんなとともに歩んでいく、その覚悟をして、きちんと真実を知ろうとすることだ。

三角関数のサイン・コサインが数学に多いのは、三次元の座標軸がどの点を取っても直角三角形になることと関係しているような気がする。直感でそう思った。

だから、三次元から、四次元、五次元になると、数学上の新しい、サイン・コサイン以上の発見が出来るかもしれない。