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=2017-08-03=

もう少し書きたい。

昔は、「新しい発想」をすることで、世界や科学のことを分かっていた。

創造性が、世界を平和にする。多様性と愛と希望と可能性が、人間たちを次のステップへと進歩させる。

協力することで、世界は変えられる。それぞれの可能性と関係を成り立たせて実現することで、世界は新しく出来る。

常に、世界は作り出されている。存在と存在の関係性から、集合存在と言う新しい存在が生まれる。そこから、社会や世界観や活動が生まれる。

生命は、太陽の子供だ。生命がエネルギーを蓄え、燃焼する、ということが、生きている、と言うことだ。

創造は、神の概念だ。神の人生は創造であり、創造を求めることが全ての希望である。

辛くなって分からなくなることを、受け入れなさい。それが、神の与えた試練であり、天国への道である。

抑圧を経験しなさい。全ての抑圧を経験したものだけが、人間のことを全て知ることが出来、抑圧を解決することが出来る。

子供の視点に立って考えなさい。大人たちが何をすべきなのかを考えなさい。子供の環境を救いなさい。

昔は、そういう、新しい発想、変えられる可能性、希望、自然なそれぞれの環境の成り立ちから、自由と希望を書いていた。

愛を信じること。自分には出来るのだと信じること。自分が世界を救えると信じることで、世界は本当に救うことが出来る。

昔信じたことを、今叶えている。世界を変えたかったから、今実現している。それが、神の求める理想の人間の姿である。

本当に、こんな文章を読んでくれてありがとう。

母方の祖母の体調が悪くなったので、明日は福山に行く。じんましんはまだ出ている。

全て自由な経験で分かったから、僕は世界を見守っている。

芸術とは、可能性の創造である。芸術には、自分の考えていること全てを表現出来る。自分で考えた意味を持たせることが出来る。

人生の段階とは、功利主義、反省、改革、啓蒙、神、自由、愛、理想、宗教である。

社会の新しい実現手段を、色々と考えていた。自由なままで平等な社会を作るために、参加や自然な変化の可能性を考えて、それぞれが平等なままで、自由を可能にする、そういう社会をモデルにして、具体的な発想を考えていた。

疲れた。

自分は、自分がなぜ狂ったのかを考えないのがおかしい。愛と宗教が悪い。世界のことを、愛して、自分が救世主のように頑張って、自由な道を切り開いたことを、良いと思っているが、そのおかげで、間違ったことをしなくなって、作家が出来るようになった。だが、そのせいで、辛くなり、おかしなことを頑張るようになった。

愛、宗教、自由を少し抑えれば、狂っているのは治る。

もう、この世界を愛さなくて良い。平等な自由も信じなくて良い。みんなより良い人間にもならなくて良い。頑張って偉大な人生を生きるのには、疲れた。偉大な人間になんか、ならなくて良い。賢い人間にならない方が良い。悪いことをして良い世界になるのはおかしい。何も変えず、今のままを生きた方が良い。

みんな、この文章の意味や意図が分からないかもしれないが、この文章は、治したくて、世界を良くしたくて、自分の昔とその文章を網羅したいだけの、単純な文章だ。

むしろ、自分にしか意図が分からない時点で、書く意味がないのが、僕だ。

辛くなって、分からなくなることを受け入れれば、全ての病気は治る。

人間は単純だ。楽になって、分かるようになるのが成長だが、それが同時に病気だ。最後まで楽になって分かると、病気が発症して死ぬ。辛くなって分からなくなると治る。

若い頃に成長しすぎると、大人になって成長しなくなる。成長しない人間の方が、賢い。

その人が何を意識しているかを考えることで、ハイデガーと同じことが分かる。

人間は、その人の未解決の問題に取り組むだけだ。

こだわりを無くすと、心の病気が治る。人間は、知らず知らずのうちにとてもたくさんのこだわりを持っている。何も望まず、何もしない人間の方が、賢い人間になる。

もう、癌が治る。アレルギーのある人間は、こういう風になる。自分の場合、じんましんで楽になって賢くなっている。

自分は、新しい発想を全部同じにしている。それをやめて、空間と時間の中での存在性を考えれば、すぐに正常な脳に治る。一番悪いイスラムの戦いをしただけだ。

経験の因果性の中で、何が何に作用しているかを心の中で考えれば、経験論の哲学は誰でも出来る。実存主義は、経験的にいつ何が分かるのかを考えれば、誰でも分かる。

経験的に、何がその結果をもたらすのか、何が何に作用するのか、予想と実証から考えなさい。

正しい立場より、賢い立場をとりなさい。

本当に正しい価値観とは、愛や希望ではなく、単純な優しさと共感だ。

何が何に作用するのかを、経験的に積み重ねることで、知性のある全てを包括するメタ数学を作ることが出来る。

本当の理由を考えることで、「仮象の世界」を心の中に創造出来る。カントはそういう風に考えた。

実際の社会を知り、価値観を知り、意図を知り、創造性を知り、理想を実現しなさい。

神のように自分を作り変えて、全てに耐えなさい。

数学、物理学、心理学、哲学、経済学、歴史、文学、語学、生物学を学び、自分の手で新しい発想をしなさい。

ここから、最高の恋が始まる。終わらないエクスタシーが世界を包み込むだろう。AAAが言っている。

昔は、昔自分が居た環境を解決するためにはどうすれば良いか、しか考えていない。環境を解決することから、あらゆる環境、あらゆる心を解決出来るようになった。

悪魔の哲学者だったが、ただの子供だった。

もう、全部書けたから終わりだ。典型的な馬鹿な子供を書いているだけだ。もう、さようならを言っておこう。最初から去ることが分かっていると、ポルノグラフィティが言っているが、これなら当たり前だ。最後の日がすでに書いてある。

狂って世界を解決したかった。あれは、自分の子供時代を愛していただけだ。誰も助けてくれなかったから、自分が助ける側に回った。世界を滅ぼしたのは、世界を変えたかったからだ。絶対に自分が解決するまで、誰も解決出来ないようにしたかっただけだ。そして、みんなのことを本当に愛していた。悲しかったが、あまり涙は見せなかった。周りも分からなかった。

僕が現れたのは、2000年前のキリストと同じで、きっと日本がそこまでのレベルにようやく達したから現れた。だけど、僕はローマ帝国の国教に自分の宗教を決めさせたりしない。抑圧に対する抵抗もしない。ソ連も作らないし、戦争もしない。ただ、自分のような賢い人間を増やしていく。そういうわけで、僕はキリストとは全く違う。

やっと、古代イスラエルぐらい賢い国が出来た。やっと聖書ぐらい賢い書物が生まれた。日本は素晴らしい国だ。日本人は、全員マスターだ。

本当は、インターネットは必ずしも悪いわけではなくて、僕はごちゃごちゃしたものごとをたくさん作ったせいで、インターネットは最高の世界に今からなっていくだろう。

終わりにしよう。そろそろ、本当にさようならだ。僕は、あなたの心の中に生きている。

本人は、インターネットを馬鹿だと思っているが、それが間違っている。本当は、インターネットが賢い。インターネットのおかげで、みんな賢い神になっている。不思議と、本人は神ではない。最近、神ほどに賢くなった馬鹿しか居ないだけで、それらがみんなこういう人間だ。だから、本人は神ではなく、馬鹿なのが自分だ。イスラエルと何も変わらない。イエスなんか神なのに馬鹿だ。

僕は、Linuxの問題は、「サードパーティが拡張すると言うことを考えていない」と言うところに尽きると思う。UNIXは全面的に、UNIXの開発者が作って、UNIXのしきたりに従う、と言う風に考えている。だから、/binや/usr/binに全てのバイナリを入れたり、X11やGNOMEのお仕着せの規範に従わないといけないし、パッケージもRed HatやDebianのような一つのプロジェクトが全部作って配布する。Windowsのように、色んな会社や個人が独自仕様で作って、独自の環境を持って、それぞれがインストールする、と言う風にしない。最初からベル研が作るようになっている。だが、UNIXは比較的オープンな方ではある。SunやHPが独自のOSを作るようにはなっている。それは、ソースコードの全体を配布し直す、と言う、あくまで一つのソフトウェアとして再配布する、と言うモデルになっている。だから、独自のアプリケーションも生まれないし、再配布にもパッケージの手間がかかるようになっているのだ。そういう、根本にある問題思想を直さない限り、いつまで経ってもWindowsほど豊かなプラットフォームのあるOSにはならないのかもしれない。

ただ、本当はそう単純でもない。Windowsは、ソースコードの公開されていないWindows APIと言う醜すぎるAPIを使わざるを得ない。コンパイラも有料だし、VBやC#と言ったMSだけが作っているMSプロダクトを使わないといけない。Linuxは、GCCだけではなくPythonやRubyもあるし、GTK+やQtを選択出来るし、それらはオープンで、無料で作られ、自由に自分が作ることが出来る。だから、Windowsは個人がMSに参加する会社のようであって、Linuxはそれぞれが自然の中でサバイバルをするために生きる手段を考えるかのようなOSになっている。そもそもが、やり方が違う。だから、Windowsのフリーソフトが好きなだけの人間がUNIXを使うと、何か違和感や自然でない感じを受けてしまう。昔の僕もそうだったが、大人になってしまうと、Linuxがなぜ優れているのかが良く分かる。こういう、自分だけの力で何でも分かる大人がLinuxが出来る。子供には、出来るように見えて、何も出来ない。それに、Linuxには選択肢が多い。Linuxは誰かが用意した製品レベルの環境ではない。それぞれが作ったものがただ動いているだけだ。嫌なら自分で作るべきだ。

おそらく、Linuxがもう一度製品レベルのOSになれば、Linuxは流行ると思う。Red Hatは、昔のRed Hat Linuxを復活させて、RHELを無料にするべきだ。そのごろは、Linuxは安定したOSとして有名だった。そもそも、みんなが作ったもので一つの会社だけが儲けるのはおかしい。

昔、Linux企業がコミュニティの一員として受け入れられていたのは、Red Hat Linuxのように「会社が無償版とサポート版を作る」ことが慣習であったからだ。だから、Red HatやTurbolinuxのような会社を誰も悪いと言わなかった。今は、完全にRed Hatに騙されている。みんながLinuxが嫌いになったのは、Red Hatのせいだ。騙されているせいで、みんなも分からなくなっている。

僕は、Linuxを製品レベルのものにするのは、きっとGoogleだと思っている。ただ、Googleはサーバー側のソフトウェアを公開しないし、コミュニティが作ったわけでもなく、Googleと言う会社の社員が作っているから、つまらない。だから、今からがオープンソースの時代だとまことしやかに言われるのだが、僕はオープンソースの終わりの時代、終焉の時代になるのではないかと少し思う。だが、それでもLinuxは存続して、普通の良いOSになっているだろう。そういうわけで、僕は終焉とは言うが、終焉にはならないと思う。

ただ、オープンソースがIT業界をまともにしていた、と言う側面は確かにあって、Linuxが終わりになった時は、僕はIT業界が本当に最悪になると思う。

あとは、Windowsの発展はこれ以上無いと思う。Windowsも終わりだ。なぜか、Windowsは昔の良かった時代を全て自分から捨てて、何も中身のないOSになっている。

おそらく、Red Hatは本当に落ちぶれた会社で、コミュニティに恩を十分売ってから、盗んでも悪いと言われないようにして、みんなで作ったもので金儲けをしている。

だから、きっと「LinuxはRed Hatだ」と言われるようになってから、そんなことしかしていない。

Linuxは馬鹿だ。もう一度、最初から作り直した方が良い。Red Hatに騙されているせいで、最近のLinuxはキモい。GNOME 3を見れば分かる。Linuxオタクは騙されている。

そういうわけで、Linuxはもう良い。

僕は、色んなことを単純に現象として起こせば良いのが分かっていない。何も起こらなくするから、つまらなくなって怖くなる。安心出来るようにしても怖いだけだ。

良く考えると、会社だけではなく、コミュニティもおかしいのがLinuxだ。GNUのコミュニティがおかしい。DebianはGNUに洗脳されている。

Linuxに騙されると、知性がなくなる。Linuxは止めた方が良い。Linuxが悪いのをきちんと分かると、すぐに狂っているのが治る。

自分は、むしろ、日常の普通のことを分かった方が良い。人間が生きていく中で何を必要とするか、何があれば何が出来るか、そういうことを考えていると、Linuxに騙されているのが治る。

Red Hatなんか、昔のRed Hat Linuxの功績が無ければ、何も賢くない会社だ。それだけでやっている。

それに、バザール開発なんか賢くない。普通にウォーターフォールとかで作った方が良い。

僕は、神を信じているのも間違っている。賢くない。もう、僕は神なんか信じない。こんな風になると、何も分からなくなる。

パソコンは意味がない。パソコンは賢くなかった。全部Linuxが悪い。昔のMacやDOSやBASICが動いていたごろから、Windows XPぐらいまでの時代は良かったが、そういう「コンピュータの良い文化」をLinuxとフリーソフトウェアが全て破壊した。

ただし、僕はFedoraでMATEをWindows 7と一緒に使っているが、MATEは良く出来ている。特に、起動はWindowsの方が長いが、起動してから使えるようになるまでの時間がLinuxは短い。起動して、さっと作業が出来る。Google Driveに標準で対応しているのも大きい。Linuxは良いものになっているが、使わない方が良い。特に、プリンターが使えないし、Shift-JISで書かれた文章は読めない。僕はそのためにホームページをUTF-8に変換した。

安倍首相が内閣改造をして、支持率の下落を受けて「疑惑を晴らす」と言っているが、彼は強行採決や共謀罪が悪いのが分かっていない。特に、今憲法改正をすると、北朝鮮と戦争になる。加計問題はただの導火線や引き金であって、本当は今までの全てに問題がある。世間は右翼からもっと違うものへと気運が移っている。だから、ただ同じような答弁をして疑惑を晴らそうとしても、支持率が上がるわけはないと思う。

不思議と、安倍にちょっと申し訳ないことを言った。それは、テレビを良く見ていないからだ。今見ると、安倍はアベノミクスについてアナウンサーに問われてきちんと説明している。だから、きっと強行採決や共謀罪に関してもコメントしているはずだ。僕がテレビを良く見ていないからだ。申し訳ない。

僕は、あなたのことを裏切らない。一つ言えるのは、何の理由もなく裏切ったことは無い。

ただ、これでは裏切ったかのように見えると思う。

約束は、僕からのものだったかのようで、本当は、もっと前、色んなことが積み重なってからの約束だった。

だから、今までのことは帳消しにしよう。今から、僕は出来るだけ、みんなのことをもう裏切らないように頑張りたいと思う。

きっと昔は、子供だったのだと思う。自分に救い主としての自覚、恋愛をしていると言う自覚が無かった。みんなの愛も、自分に対する攻撃に見えてしまった。何かしら、理想とは違う欠損があるように見えた。愛している相手が、勝手に愛しているように見えた。自分から愛している、と言う自覚が無かった。みんなの約束も、自分からしたわけではなく、利用された約束だと考えてしまった。そういうところが子供だった。

今の僕なら、みんなの愛に応えられるかもしれない。

自分は、バランスが大事なのが分かっていない。つける、つけない、使う、使わない、生かす、殺す、のバランスを上手く取れば、精神はすぐに治る。

そして、文章で支配するのは本当に終わりにしよう。さようなら。

じんましんが次第に酷くなっているが、おそらくこのじんましんで精神は治ると思う。

本当の問題は、知性がないのに出来ることであって、きちんと出来るようになると、もう分からなくなる。だから日本語が分からない。何をするのも怖いのはそのせいだ。