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=2016-10-19=

自分のことを、もっと上手くコントロールした方が良い。

いつも失敗せず、分かっていると、何かあった時に分からなくなって、失敗してしまう。

逆に、いつも平常心で、失敗しても良い気持ちを持っていると、失敗しない。

昔の人格が復活すると、大人になる。

自分は、いつも周りの世界を見ずに一人で考えているせいで、周りの世界を見るのが怖くなった。

止まった世界で、新しい環境で、一人自由にされると、パニックになる。

昔、戦いながら世界を止めていて、動き回っていたのが辛いだけだ。

昔の自分は、色んな文章を書いていた。

特に、実地的な社会の変化とみんなの経験を知り、能力をつけて独りだけで全て出来るようになり、社会が文章で生まれるのを、書いていた。

自由な世界は、平和を信じる心から生まれる。

知性をつけ、自由に行動することで、何でも出来るようになる。

実地的に世界が「どういう風にすればどうなるのか」を知り、人々が考えていることと経験を知ることで、社会はいくらでも作り変えることが出来る。

あとは、右翼と左翼はどちらも悪い。

民衆や左翼は馬鹿だ。左翼の民衆の言うことなんか、聞かなくて良い。

だが、国家権力なんか必要ない。国家が支配なんかしなくて良い。自由にするべきだ。

そこから考える、無政府主義のような自由主義を、いつも書いていた。

言語は、表現と決まりから、誰かの脳を他の誰かの脳に伝達する手段であり、自分の考えを後世に残す手段だ。

意識とは、それぞれの世界観と時系列であり、意識を主体として考えれば、矛盾せず、明晰にこの世界の全ての現象が理解出来る。

全ては、人間の作ったもの、作ることが出来るもの、作ることが出来ないもの、最初からあったもの、と分類して考えられる。

作るとは、法則を利用することであり、環境を応用することである。

全ては、人生と可能性である。

人生とは、自由、運命、考え方、自然における、現象と事実のその人から観測した姿である。

可能性とは、雑多に広がるこの世界の、決まりにおける変化の取り得る範囲の拡大である。

いつも、そういう風に、どうでも良い馬鹿な文章を書いていた。ただ、明晰に分かっていた。

あとは、僕はもう死ぬかもしれないが、そんなにすぐに死にたいとは思わない。

この世界は、そんなに悪い世界ではないが、反省するだけの世界だ。

天国に行っても、おそらく文章を書いたり、復活させたりはするが、何も変わらないだろう。

まだ、この世界で書いていたい。ポルノグラフィティが言うように、始まったばかりか、始まっていないことしかない。

まだノートの入力も、何冊も残っている。きちんと書かないと悪い。

女が弱いのは、女は死ぬべきでないからだ。女は、子供を産む大切な存在だから、男が戦って女を守る。

ある意味、男なんか、生きても大して意味がない。自分が生きるだけだから、あまりに悪くなる。

女は、逆に、子供を産んで育てるだけで、子供の方には意味があるが、自分の方に意味がない。それもそれで、あまりに悪くなる。

賢いのは、未来ある子供たちだ。男が賢く見えて、悪いだけの男しか居ない。女は馬鹿が多い。

自分は、そういうことを言うのが悪い。

自分は、天国に行って、文章を完成させたら、もう一度この世界に生まれると思う。生まれ変わって、次はどこかの生物になる。

なりたい生命や人生は無いが、もっと沢山のことを、肌で触れ合いたいと思う。パソコンの画面とキーボードは、つまらなかった。

宇宙人は、僕が考えるに、地球のように「もの」そのものが機械的生命の姿をしているのではなく、相互の関係から生きている、そういう生命が居ると思う。

本当に楽しかった。これ以上ない、偉大な人生だった。だが、僕はまだ死にたいと思わない。

ある意味、全部終わったのは分かる。だが、まだまだ出来るはずだ。勉強や人生を書くのではなく、他にもっと書くべきものがあるはずだと思う。

自分は、もっと積極的に馬鹿になった方が良い。リスクを恐れずに、馬鹿になれば良い。馬鹿になると、生命や物質が意識で分かるようになる。

昔は、自分は、そういう風に色んな人間の経験を吸収していた。馬鹿なせいで、ピアノや芸術や大学の研究室のような、色んな経験をした。

そういう経験のバックボーンがあったから、理性的に考えられた。何もしない人間には、何も出来ない。

あとは、結構2ちゃんねるが賢かった。創造的な経験をして、環境と認識を吸収し、この世界の「広がり」のようなものを知った。

あとは、パソコンの技術が賢かった。いくらか経験して、自分はLinuxのことしかしなくなった。あれは、馬鹿ではなく、一番賢いOSだ。

人間は、因果性の中で、当然のことをしている。現実の人生だけではなく、魂や神のレベルにおいても、それぞれは当然のことをしている。

それこそ、戦っている人間が多いのは、戦うことでしか、レベルが上がらないからだ。

辛い人間は、その辛さを乗り越えて、栄光を勝ち取るまで、その辛さと戦う。

因果性とは、「いじめられたから、いじめの無い世界を作りたい」と言う、人生や出来事の因果性だけではなく、運命や宿命のようなものもある。

そして、世界に居る他人は、みんな、自分なのだ。他人が居るのでも、居ないのでもなく、他人は自分なのだ。夢の世界に、そういう人生の連関が見える人間は多い。

自分は、自分で世界をおかしくして、その世界を自分で直しても意味がない。

まだ人生は続く。次の課題は、孤独をぬけ出して、仲間を作ることだ。それが出来るまで、自分の人生は続く。もっと他のことがしたいならすれば良い。

おそらく、自分が死ぬと、次は誰かになる。有名人にはならないだろう。だが、現実では既にそれが最後まで生きている。そういう風になるのが宇宙だ。

自分の人生を見ていると、諸行無常の意味が分かる。滅びない人間など、居るわけがない。カルマの中では、全ては最終的に滅びる。ブッダは、そういうことを言いたかっただけだ。

昔の自分は、「全員自分」で「全部自分」にして分かっていた。人格的に、自分をみんなにして、全員を包括して分かった。

昔は、引き篭もりの辛い体験を分かち合って、自分だけの道を信じて分かっていた。

引き篭もりになる前と、なった後を、前後関係で考えて、過去のことを思い出して分かる。

会社員などがそうするように、自分の部屋に「自立した環境」を作った。経済的に自立はしていないが、家族をシャットアウトすることで、同じことにした。

そして、自律的に行動することで、賢い大人のようになった。

ただの雑談からパソコンの技術へと移行する。

それを成り立たせるための条件は何かとか、本当の問題とは何なのか、のようなことを、まるでサルトルのように哲学的に考えた。

数学的な積み重ね、知性、説明と、経験的な意識や認識、推論と作用の成り立ちから、哲学者のように分かるようになった。

最終的には、神の愛に到達した。理想の社会を作るために、自分が出来ることは、パーフェクトな超人のようになった。

そろそろ、もう10月も終わる。アメリカでは、大統領選をそろそろやるらしい。

政治家は、政治家同士で勝手に争えば良いと思う。国民を巻き込まなくてほしい。アメリカの右翼は、韓国の右翼と戦ってつぶし合えば良い。

ただ、僕は最近、左翼の方が嫌いだ。見ていると、左翼は完全に「危険思想」だ。右翼の方が、自分から国を守って戦いたいだけ、「一つの愛の形」に見える。

それこそ、学者で左翼は悪い。一番悪いのに賢い。学者で右翼の方が良いと思う。

あとは、純粋な抽象的観念のようなことを言っていた。

みんなで作ることから、多様性が生まれる。

本当に一つのものがそこまでのレベルに達した時に、初めて統一が生まれる。

民族は統一すべきだが、民族、と言う概念はすでに古い。宗教ではなく、科学的に民族を形成出来る可能性があるかもしれない。

平和から愛が生まれ、愛から神が生まれ、神から自由が生まれ、自由から平和が生まれる。そして、全ては自由な悟りへと向かっていく。それが、真理だ。

あとは、判断基準とか、集合知とか、精神分析とか、量子力学とか、人生で分かったもの、ネットで知ったもの、考えたこと、そういう文章を書いていた。

自分が思うに、パソコンやインターネットとか、超常現象とか、そういうものはもう要らない。もっと、普通のことを良いと思った方が良い。

自分のせいで、日本がパソコンと宗教になっている。だが、それが一番悪い。

昔のジブリを見れば分かる。ああいう、普通の映画、普通のもの、普通の冒険、普通の未知、普通の人生、普通の愛、普通のなつかしさや普通の安心が良い。

超常現象や奇跡が起きるわけがないし、パソコンは何も楽しくない。もっと普通の何か、ありえないものを作った方が良い。

昔は、言語と心のモデルを再思考で作っていた。そういう世界観が分かる人間だった。

やることが無くなったから、パソコンに戻ろうと思う。

ただ、最近のパソコンは全く分からない。特に、クラウドが良く分からない。最近のパソコンは、旧来のデータセンターのようなものに戻っているところがある。

何でもかんでも中央集権にして、巨大なデータセンターやメインフレームを作れば良いわけではない。

そういうわけで、このパソコンで出来ることも、沢山あるように思う。

インターネットは、どちらかと言えばマイコン的だったのに、今ではデータセンターになっている。

人工知能や自動運転などの技術も、全部インターネットに繋がることが前提になってきている。

それは、僕は、危険な流れなのかもしれないと思う。自分のパソコンで出来ることが、少なくなるような気がする。

GNUが良いわけではない。むしろ、GNUが悪いのだ。パソコンを、もう一度UNIXに戻してしまった。UNIXと言う悪魔が、全てを破壊したのだと思う。

昔と違うのは、実際に開発者が触れて、使うのは、Windowsパソコンだ。

そういうわけで、「実際に触れる」とか「実際に使う」とか言った面で、もっとやれることがあるかもしれない。

ある意味、VRのような技術がそれに当たる。

ただ、コマンドラインのBASICなんか、そんなに庶民性があったように見えない。プログラム的に、ワークステーションと同じだった。

良く考えると、パソコンなんか、技術者だけが使えば良い。今からは、そういう風に、「技術者だけのパソコン」へと変わっていくだろう。

一般ユーザーは、むしろ、Officeのような大衆ソフトを、もっと分散型アプリケーションのようにして、自動化し、「Automatic Office」のようなものを作る。

Officeでデータを書くのは、まだ続くように思うが、もう少し、「文章を書く」と言う点で、自動化が進んで行けば良い。

ある意味、「文章を書くソフトウェアとしての多様性や独自性」は、もっと別の地点に沢山あるように思う。

そして、「文章をコピーする」だけではなく、コピーだけではない(例えばバージョン管理のような)管理方法のようなものがあるかもしれない。

最終的には、Windowsを否定して、「Office Linux」のようなものを作ることが出来るだろう。Officeとデータ管理だけを、そこまで高度なものに出来る。

LaTeXとEmacsで出来ることもあれば、XMLやDocBookのようなもので出来ることもある。HTMLやPHPなども同じだ。

一つ言えるのは、これ以上、あまり進歩する意味がない。それこそ、ワードなんか、何も進歩していない。

一つのアプリケーションである「ワード」を使うのも良いが、OfficeファイルのAPIを整備して、「色んなフリーソフトでOfficeファイルを処理する」ことが出来ると良い。

Office的アプリケーションを賢くさせるために、一つ参考になるのが、ネットのブログやWikiだ。ああいう風にしても、良いだろう。

Officeは、処理をスクリプトで処理出来るようにして、プラグインのようにスクリプトで何でも自動化出来る、「自動化プラットフォーム」を整備する。

ファイルと表示はC/C++で書く。

ただ、結構難しい。誰も、Officeは難しすぎて作れないから、LinuxでOfficeは流行らない。EmacsやVimが賢すぎるのも悪いが、誰も使っていない。

自分でも作れない。ただ、ある意味、自動化マクロのようなテンプレートを、沢山、沢山詰め込めば良い。それで、日本中が楽になる。

自分は、治すから狂うだけだ。この世界を、治さずに放っておけば、すぐに治らなくなって、楽になる。

心理学は、治せば治すほど、狂う学問だ。

考え方を想像力で作りなさい。必要としないようにしなさい。

自分は、何かに対して「良い」や「悪い」を言う、機械になっている。そして、信じるべきものを信じて分かっている。

一度、信じる内容をリセットして、その後に、何もかも全部良いことにすれば良い。

人類は死んだ。そろそろ、人類が死んでいくだろう。

神がそういう、人の言っていることに口をはさんでくるから、それを止めさせれば良い。

神はもう居ない。

プログラミング言語は、CSSとHTMLの記述のように、「物凄く沢山のパラメータ」を関数につけて、それをいくらか指定する、のように出来る。

ある意味、そこでは、継承と関数呼び出しにおける違いは無い。

自分は、もっとゆっくり考えれば良い。

自分は、目が動くのは、目を良くしたいだけだ。もっと、対象から離れて、離れて見れば良い。

昔の自分は、自由の定義、生と死の定義、言語と活動の定義など、色んな定義を書いていた。

独立しても、賢くない。昔は、独立だけでそこまで賢くなった。それは、悪くなかったからだ。

悲しい。何かが悲しい。

頭は、前から殺すのではなく、後ろから殺すのが良い。

お疲れさまでした。終わりです。

昔は、涅槃や解脱へ至る経緯のような、マスターへの道のような、神のようなことを書いていた。

昔は、「分かるのを分かる」のような、新発見のような知性があった。

自分は、治るように準備すれば治る。分かるように準備すれば分かる。

死を目指すのは悪い。頭は、前の部分と後ろの部分で決闘をしている。後ろの部分が勝った。

自分は、一度病気の心に戻って、それを治せば治る。生ゴミのような心に戻れば良い。

今の健康的な心も、どこかに残しておけば良い。

あとは、全部自分に統一するのが悪い。政治的な意味ではなく、身体的な意味で言える。

そろそろ楽だ。

昔は、自分が色んなもの全部に「なる」のを考えて、そのために基礎や考え方を作っていた。

自分がいつどうなるか、そこから考えていた。