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=2020-01-02=

ストレスのあることを言わないようにすれば、口の病気は治る。逆に、ストレスのないことだけを言うようにすれば良い。

僕が総理大臣になったら、工場のような「単純作業しかしない労働」を改め、運動やエクササイズをするようにする。

そもそも、経済は分担から始まった。農業をする人は農業しかせず、ものを作る人はそれだけをし、物々交換でさまざまなことを得られる。

これは、同じ労働しかしなくても、さまざまなものが手に入る、という意味で、画期的で楽だった。

だが、産業革命以降、こうした労働の分担は、逆に工場のような「つまらない単純作業しかしない仕事」を作り出した。

工場では、8時間の間ひたすらねじを回したり、魚の加工のような仕事をしている。

しかしながら、本来人間というのは、狩りをするなど体を動かしてさまざまなことをする生き物である。

よって、僕は工場の労働についても、運動やエクササイズをするなど、さまざまな「レクリエーション」を取り入れることで、工場の労働をもっと楽にする。

たとえば、スポーツをしたり、料理をしたり、楽器の演奏をしたりすることで、心が楽になり、労働意欲が増し、健康になる。いつまでもパソコンの作業をしているオフィスワーカーなどにも有効である。

昔は、社会の中で社会を変え、自由に生きることのできる自由を考えていた。

社会において、人は会社を起業して作り、会社に参加し、出世する。

人は労働し、生産し、価値やサービスを恒常的に提供し、人々を雇用して労働者が生活できるようにする。

人は社会や会社から必要とされ、会社や事業のことを決定する。

人は消費し、所有し、金銭のやり取りを行い、社会は豊かになり、便利になり、発展する。

そして、そのために、プロセスを改善し、手段と発想から実現方法を考え、社会の制度をよりよくし、代表である政治家を選挙し、民主主義的に法律を決める。政治家が法律を決め、制度を変える。

そうした中で、人は勉強し、学習し、経験し、考える。

そうした社会全体の自由の中で、いかにして世界を変えるのか、いかにしてより自由に生きることができるようにするのか、いかに独立や進歩をしやすくするのか、ということを僕は記述していた。

また、環境を想定し、状況を想定し、人々にダイレクトに語りかけながら、環境における心理学的なプロセスと改善方法を書いていた。

たとえば、努力に応じた報酬が得られやすくしたり、自分の好きなことができる生き方ができるようにする。また、社会の独立性を高め、完全に自由ではなくても、それぞれの個別の環境が独立しやすくする。制度を変えやすくし、国会議員を別の形で選ぶ。

また、ノルマを自由選択型にし、いつでも自由な労働ができるようにする。品質保証制度を作り、安くするだけではなく高品質な製品を作って、社会をもっと別の形で発展させる。

ルールを決めることで、社会は創造できる。ただ自由放任なルールを決めるだけではなく、この世界全てを規定し直すようなルールをみんなで決める。そして、みんなの手でそのルールを変えていく。価値観とアイデンティティが形成されるように、みんなでひとつのリアリティを築く。リアリティを知ることから、社会でひとつのアイデンティティのある社会を作る。日本人はさらに未来へと向かう。

精神を治すためには、骨を治すこと。精神は骨の中に存在する。

僕は、精神のレベルで、同じことしかしていない。もっと具体的に、違うことをするようにすれば、精神は楽になる。

最後に、「それをそうしたらどうなるか」とか、「それがいつ何になるか」ということをよく考えなさい。想像力を使って、思い出して、他人の視点から考えれば、必ずここまでたどり着ける。それで、僕の言うことも終わりである。

社会的な自由論「人は自由において行動する」と心の自由論「不安になるのは自由がないため」から、この世界全てを解明しなさい。原理原則を解明するために、実験し、証明し、仮説を立て、説明し、予測し、想定し、分析し、洞察しなさい。全てを解明するために、人々の社会を実地的に知り、人々の意見を参考にし、その裏側にある人々の生活までを知って、社会を「作り直すかのように」本当の社会の実像を知りなさい。発想と認識を吸収し、社会や心や経験など全てのことに対して「裏側に何があるのか」を考え、説明し、知りなさい。

裏側を考え、相対的にそれぞれの違いと共通点を考えることから、精神と心の現象学が生まれ、ありのままの世界を受け入れて生きる「精神論」へと繋がっていく。これが、哲学である。

また、2ちゃんねるのような裏社会を知ることで、自分の今まで思っていたこととは別の、「本当のこの社会」を知ることができる。裏にある本当の社会を知ることで、この世界の本当の意味が分かる。おすすめはしないが、僕と同じ人生を生きたいなら、そうした経験を乗り越えた上で、世界と戦わなければならないだろう。

自分は、まだ、この世界は終わっていないのが分かっていない。

確かに、パソコンやIT技術はもう出そろった感があるが、それでも、技術の進歩はまだ終わっていない。たとえば、火星に機械を送ることができるなら、火星で何らかの開発ができるかもしれない。火星には人間が住めるような環境は無いかもしれないが、機械が動いてさまざまな開発をする余地はある。たとえば、とても高温あるいは低温の環境で、発電やエネルギーの生成ができるかもしれない。火星と地球間での遠隔通信のような技術も今後進んでいくだろう。

だが、僕はインターネットにまつわる技術は、ここらへんで頭打ちではないかと思う。これからは中国である。アメリカやヨーロッパは、技術を作るのは得意だが、それをどのように使うのか、というところまで考えていない。中国は共産主義国である。今まで出てきた技術を「実際の社会にどのように適用していくか」という意味で、社会主義国の中国では、さまざまな社会実験ができる。今からの時代、どのような技術を発明するのかではなく、技術をどのように使うのか、活かしていくのかが重要である。

だが、僕はパソコンは嫌いである。それは、なぜなら、技術を作るだけ作っておいて、それをどのように使うべきかを考えないまま社会に普及させ、企業の利益だけをがっぽりと持っていくからである。

今から、僕たちは技術をどう作るかではなく、技術をどのように使っていくか、そしてどのように使ってはいけないのかを考えないといけない。

僕は、これからの技術は、パソコンではなく、バイオと量子コンピュータではないかと思う。バイオを使うことで、おそらく人間を超える生命のようなものは、ゲノムを多少いじれば作れる。それがガンダムで言うニュータイプのような発想に繋がって、「超人」が生まれる。その上で、量子コンピュータは、ものすごく超高速なコンピューティングを可能とする。そのため、火星どころか、金星や水星にすら人間は到達できる。宇宙ロケットはただ飛ばすだけではなく、飛んでいる最中に軌道を変えられるように、AI・人工知能を搭載する。あるいは、ドローンを改良して、プロペラの力といくらかの水素エンジンだけで、宇宙に人間が簡単に行けるようになる。

ただ、僕はもうこれ以上、パソコンという機械そのものには未来が無いと思う。パソコンなんか、単に道具として使うだけである。仕事や創作の道具として使う以外に用途が無い。コミュニケーションや通信技術については、5Gで進歩すると思う。

僕は、最近、小説や舞台芸術に興味がある。パソコンの夢を追いかけるよりも、小説や舞台の夢を追いかけた方が良いような気がする。僕はプログラミングには挫折したが、執筆は成功した。きっと、そのうちこの大きな夢は叶うと思う。僕は文章を書くのは好きだが、読むのは苦手で、活字を最後までなぞって読む、ということに不得意である。シリーズものの超大作の小説ではなく、もっと薄くて短いためになる小説のようなものを読みたい。きっと発見があると思う。

何かしら小説を読みたいと思う。そして、もっと人の話を聞きたい。特に、父親の話をもっと聞きたいと思っている。書籍を探しても、学問を探しても、世界を探しても、国を探しても、パソコンや芸術を探しても、僕の探しているものは見当たらない。それは、「人との会話」に僕の探しているものがあるからである。もっと他人と会話すれば良い。相手の話を、最後まできちんと聞くこと。それが僕の探していた、迷宮からの出口である。