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歴史3

いろいろ

日本は、3つの主要な日本がある。

江戸時代、明治・大正・昭和の帝国と戦争、その後の民主主義と経済成長である。

最近は、平成となり、アメリカ的な文化が栄える。

◇◇

普通の人間も悪い、ヒトラーや天皇も悪い、では、意味がない。

何も出来ない世界だ。

悪くなるのは当たり前だ。

放っておくと、中世の奴隷になる。

下が上に奉仕し、下が上に奉仕するだけの世界になる。

◇◇

奉仕で良く見える。なぜなら、金と同じだ。

金を見ていると、奉仕が一番良く見える。

金の流通と奉仕で、中世の町も栄えている。

戦うというが、強いだけで無条件に勝つ。

原始人も多い。原始生活をしている村も多い。

◇◇

強い国とは戦わない。簡単に勝てる、分裂した国家と戦っているのだ。

負けた方は殺さない。ローマ帝国は、同じ国民にして、平等に扱っている。

奴隷は悲惨だが、楽だ。自由はないが、農園で同じことをすれば良い。

昔が良いとは言うが、ありえない。

最近の方が良いようで、それもありえない。

米ソ、東ドイツ、西ドイツくらいから悪い。

東ドイツは、あまりに悪いことをする。西ドイツは、あまりに狂っている。

◇◇

あまりに馬鹿すぎて悪いから、ヘーゲルやマルクスが、社会論を作った。

社会所有にして、金を無くし、国家で計画経済をする。

それが、島と同じ共同体の新世界を作り、ものは必要なものをすべて分配する。

完成された国家になるはずだった。

なぜこんな世界になったのだろうか。

◇◇

この世界は、哲学的すぎる。

全員が平等に死ぬほど働き、全員で考える世界になった。

ソ連やアメリカの発想が悪い。

◇◇

馬鹿は、農奴や軍隊になる。

農奴になれば、誰もが生きられる。

軍隊になれば、皇帝になれる。

そして、そのまま、永遠に何もない。

それが、中世だ。それが、ヨーロッパだ。

◇◇

中世は悪い。

なぜなら、王がみんなを殺す。

あとは奴隷と、聖書が悪い。

◇◇

殺人鬼は悪いため、ヒトラーに良い点はない。

しかし、あれは結構良い人間だ。

優しく、正しい、国民のことを考える王だ。

ドイツを救うため、終わりすぎた、敗北者、ドイツを強くし、

ミサイルなどの兵器を作って、悪魔、フランス・ソ連を倒そうとしたが、

日本とともに、ソ連とアメリカに敗北した。

なぜか、そのドイツが賢くなった。

自動車やコンピュータ、全ての分野で、偉大な功績を残した。

◇◇

ヒトラーが悪いというが、アメリカも悪い。

ユダヤ人を殺しているのは、アメリカだって、イスラムのタリバンを殺している。

ただ、戦争しているだけだ。

ヒトラーは、民族大虐殺だ。

似たようなものだ。

ドイツでは、ユダヤをユダヤというが、

ユダヤ人が多いだけで、タリバンをタリバンと言っているだけだ。

◇◇

ドイツやアメリカが、そんなに兵器を作るせいで、

コンピュータが生まれてしまった。

軍需産業だ。

日本が一番そういう国だ。

悲惨に、自動車を発明したのは、むしろ、イギリスだ。

◇◇

C言語も、UNIXも、IBMも馬鹿だ。

アメリカの軍需産業だ。

新幹線、航空機、全て軍需産業だ。

◇◇

アメリカ、ドイツは悪くない。

王がタリバンを殺さなければ意味がない。

◇◇

ファシズムにおいては、個人の利益や権利を尊重せず、

全体の利益を尊重する。

全体主義だ。

イタリア、ドイツ、日本で、

全体主義は、軍事主義、帝国主義、民族主義、反ユダヤ主義として

独裁者とともに成立した。

逆に、アメリカやフランスでは

個人の権利を尊重する、民主主義、個人主義が成立した。

そして、ソビエト連邦では、

最終的な平等の世界を作る、全体主義の平等、共産主義が成立した。

勝ったのはアメリカ、フランスだ。

個人の権利が高い、良い国になった。

◇◇

ソ連には、自由も、権利も、尊厳もない。

アメリカが勝って良かった。

◇◇

平等の良い点は、インターネットで、色んな人間と同じになっていると分かる。

キリストやマホメットの良い点は、それらになると全て分かる。

キリストは、全て教える。マホメットは、全知全能の神となる。

◇◇

人間は、自由であるべきだ。

戦いに、勝つ権利がある。

◇◇

能力のあるものに、全てあるならば、

それは、全員に全てあると同じだ。

◇◇

多様であれ。連邦であれ。それぞれ違うべきだ。

可能性であれ。そう、その方が、ソ連よりも多様だ。

左翼の統一は、馬鹿なスターリンだけが自由に出来る。

そう、自由は、全員をさらに増やす。

その方が、共同体だ。

◇◇

下からの発想が良い。ボトムアップに、全員で決めるのが良い。

そう、参加せよ。そう、意見を送り、参考にせよ。

戦いは、自由の中で、賢い人間となる。

◇◇

その上で統一する。

全て、賢いものになる。

しかし、統一は時に悪い。

◇◇

平等は、民衆の思想だ。

革命で、全員豊かにする。

◇◇

ヒトラーは悪いが、他の王なら良く見える。

なぜなら、ナポレオンは大陸全部に勝っている。

◇◇

チンギスハンは、ヨーロッパからアジアまで、

大帝国を作った。

しかし、そこまで強い王は居ない。

◇◇

ヒトラーは、悲惨だ。良い気勢をあげて、馬鹿になっている。

演説が上手かった。

ユダヤ人も悲惨だから、意味がない。

ドイツは、全て分かっている。

◇◇

昔の政治を分かるためには、チャップリンの映画が良い。

独裁者で、ヒトラーが分かる。モダン・タイムスで、ソ連が良く分かる。

◇◇

戦争は、無い方が良い。しかし、戦争しなければ、領土は広がらない。

理想的な戦争は、ローマ帝国だ。ローマ帝国が強大すぎる力を持ち、簡単に倒す。

負けた民族は、ローマ帝国に吸収され、平等に扱われる。

そのようにすれば、誰でも戦わない。すぐにローマ帝国に負ける。領土は広がり続ける。

◇◇

フランスとイギリスの戦争が一番悪い。黒人の国を植民地の領土にし、奴隷にしたうえで戦っている。

ドイツとソ連の戦争が一番悲惨だ。総力戦だ。ヒトラーはミサイルを発明し、アメリカは原爆を広島に落とした。

◇◇

既存の考え方では悪い。すでにした考え方を否定せよ。「それが何なのか」考えれば良い。

それが何なのか。どこから来たのか。何を使って作ったのか。どのように作ったのか。どれくらいの時間をかけて作ったのか。費用はどれくらいかかったのか。

自分は何なのか。世界は何なのか。自由とは何なのか。平等とは何なのか。

戦い、平和、自由、平等、国、世界、歴史、時間、過去、未来、現在。

国王、血筋、環境、国民、革命、戦争。

思想、絶対主義、啓蒙主義、社会主義、民主主義、帝国主義、ファシズム、グローバル資本主義。

どうしてそうなったのか。なぜそれが起きたのか。

そのそれと、何がどう関係して起きたのか。誰が何を考え、誰が何をしたのか。皆にはどう受け入れられ、誰と戦い、何を打倒したのか。

国と国の関係性、文化と文化、宗教と宗教、民族と民族、歴史と歴史。

国王は、それぞれの国家と境界線(国境)、併合と植民地や帝国の領土拡大と同時に、世代交代と血筋、選挙と民主主義、革命である。

政策。最初の指導者、最初の国家建築、最初の政策、原理主義と穏健主義、創設、そして、変革と改革、新たな変化と気運、国際関係の変化。

戦争と勝利・敗北。国際関係と人口、領土の広さに、軍事力の高低、それは、兵士の数と軍備の数、王と政府の賢さである。

指導者と政策、戦争を分かるのが歴史である。

ドイツ(西ドイツ)の首相は、

1.コンラート・アデナウアー(CDU)1949年-1963年

2.ルートヴィヒ・エアハルト(CDU)1963年-1966年

3.クルト・ゲオルグ・キージンガー(CDU) 1966年-1969年

4.ヴィリー・ブラント(SPD)1969年-1974年

5.ヘルムート・シュミット(SPD)1974年-1982年

6.ヘルムート・コール(CDU)1982年-1998年

7.ゲアハルト・シュレーダー(SPD)1998年-2005年

8.アンゲラ・メルケル(CDU)2005年-

(出典:Yahoo百科事典)

アデナウアーは、フランスと友好し、米国の封じ込め政策を支持し、西ドイツのNATO加盟を果たした。

一貫して親米、反共の姿勢を取り、米国の援助を得て西ドイツを経済的、軍事的に復興させ、国際的地位の確立につとめた。

エアハルトは、社会市場経済を唱え、西ドイツの経済復興の立役者としての評判を得たが、党内ではその政治的指導に疑問を示すものが多かった。

キージンガーは、キリスト教民主同盟(CDU)と社会民主党(SPD)の「大連立」を実現した。

ブラントは、1970年から1972年にかけて新東方政策を展開し、ソ連・東欧諸国および東独との関係を正常化へ導いた。

コールは、1989年秋、東欧諸国の共産政権の崩壊、続くベルリンの壁崩壊と東ドイツでの統一支持勢力の台頭をみて、

慎重派を押しのけ、1990年10月国民悲願のドイツ統一を実現させた。

シュレーダー。「90年連合・緑の党」との初の連立政権は、両党のシンボルカラーから「赤と緑の連立政権」とよばれ、

選挙戦において「新しい中道」を掲げ「雇用、革新、公正」を訴えた。

コール長期政権に飽きた有権者の心を巧みにつかみ、社会的公正とともに経済政策の重視を主張し、SPDの支持基盤を中間層に拡大することに成功した。

メルケル。構造改革路線を主張し、論理的で強気の姿勢を崩さないことから、サッチャー元英首相にちなんで、「ドイツ版・鉄の女」といわれる。

◇◇

ナチの反省もあり、ドイツでは徹底した地方分権がなされている。州と州都である。

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 - キール

ニーダーザクセン州 - ハノーファー

ノルトライン=ヴェストファーレン州 - デュッセルドルフ

ヘッセン州 - ヴィースバーデン

ラインラント=プファルツ州 - マインツ

バイエルン州 - ミュンヘン

バーデン=ヴュルテンベルク州 - シュトゥットガルト

ザールラント州 - ザールブリュッケン

ベルリン州

自由ハンザ都市=ハンブルク

自由ハンザ都市=ブレーメン

メクレンブルク=フォーアポメルン州 - シュヴェリーン

ブランデンブルク州 - ポツダム

ザクセン=アンハルト州 - マクデブルク

チューリンゲン州 - エアフルト

ザクセン州 - ドレスデン

◇◇

ドイツ。

ラジオ:Tuneinラジオ(世界中のラジオ)- ドイツ

ストリートビュー:ベルリンのストリートビュー

ドイツ語:東外大言語モジュール - ドイツ語

テレビ:ARD

Youtube:Youtubeドイツ

Wiki:de.wikipedia.org

自宅でドイツが楽しめる。

◇◇

ドイツの中世。カール大帝のフランク王国では、ヨーロッパの一体性とキリスト教との密接な関係が見られた。

フランク王国は分かれ、東フランク王国が、その後、オットー1世により、神聖ローマ帝国となった。

この帝国は、中世のヨーロッパにおけるドイツ地域の確固とした帝国として存在した。

しかし、ローマ法王による戴冠と諸侯による選挙という、皇帝と国王の二重性の問題や、

カトリックとの深い結びつきが、その後に弱体化するまで続いたこと、

諸侯による地方権力の支配権の多様さと独立さとともに、王権は時代とともに次第に弱体化した。

◇◇

15世紀前半以降、オーストリア大公のハプスブルク家が神聖ローマ皇帝として世襲するようになっていた。

ハプスブルク家のカール5世は、カール大帝のような大帝国の建設を夢見て、

フランス国王のフランソワ1世と各地で軍事衝突したり、選挙で争ったりした。

そのカールの選挙資金は、豪商フッガーによる融資で賄ったが、

この借金を返済するために、大司教がローマ法王から販売を請け負った「贖宥状」は、

信者が犯す罪に教会が赦しを与える証文だった。

こうした教会の問題を批判してプロテスタントの教えを作ったのが、ルターである。

ルターは、教会でなく真に罪を悔いるものが救われるという、「信仰義人説」や

万人が神の前に平等である、という「万人祭司主義」や

聖書にのみ信仰の拠り所を求める「聖書主義」などを展開した。

チューリヒのツヴィングリ、ジュネーブのカルヴァンなど、各地で宗教改革の動きが始まり、

西南ドイツの農村や、諸侯にも波及した。

皇帝はルター派禁止の令を下したが、戦争などに忙殺される中、カトリックとルター派・プロテスタントの対立は決定的となり、

アウグスブルク宗教平和令によってプロテスタントを容認し、両派の妥協が成立した。

しかし、カトリックはその後に教義や教会制度の刷新を図り、対抗宗教改革として、ポーランドやフランスなどはカトリックに戻った。

チェコでは国王のハプスブルク家のフェルディナントによるカトリックの推進と、プロテスタントの貴族により

三十年戦争がはじまり、皇帝によるプロテスタント勢力の鎮圧や、

それに脅威を感じたフランスやデンマーク、スウェーデンなどのプロテスタント側に立ったドイツへの軍備配備により

三十年戦争は、宗教戦争から国際戦争へとその性格を変えていく。

数十年にわたる戦争の結果、ドイツは荒廃し、ドイツの人口は戦前の三分の一まで減少した。

この戦争での受益者は、帝国を構成する連邦君主たちであり、皇帝だけにあった権力や主権を、連邦君主が手に入れることが出来た。

◇◇

17世紀後半に入ると、ヨーロッパ諸国は宗教戦争の時代を脱し、君主権を強化して絶対主義の時代を迎える。

君主を支える思想である王権神授説や、経済思想としての重商主義、つまり国家はその国が保有する貴金属の量で強さが決まり、

輸入を減らして輸出を増やすことによって材を貯蓄すること、それから、国王直属の常備軍、租税制度、官僚制度、により、

君主による一元的統治と支配を可能にした。

絶対主義の体制を整えた諸国は、富国強兵につとめ、戦争を繰り返した。

ハプスブルク家は領土を拡大したが、しかし、絶対主義国家への道程はなお遠く、

オーストリアに比べて、北ドイツに台頭したホーエンツォレルン家のプロイセンは、対称的に勢力を拡大した。

いち早く絶対主義体制を整備したプロイセンは、オーストリアとともに、帝国内の2つの勢力として突出した地位を占めることになった。

◇◇

絶対主義の次の思想は、啓蒙主義である。

中央集権とともに、社会は変わっていった。

学校教育の拡大と、国家を支えるエリートの就学、それから、重商主義的な経済政策とともに、人口も増加し、経済活動が活発となった。

都市が発展し、市民層や官僚に、大学教授、ジャーナリストが加わり、新しい知識人と公共圏が形成された。

そして、進行したのが、啓蒙主義の思想である。

カントによれば、「あえて賢かれ。自分の理性を自分で用いる勇気を持て。」というのが、啓蒙の標語である。

それは2つの路線に作用した。まず、富国強兵を進める国家の政策としての、啓蒙絶対主義である。

代表的なのは、プロイセン国王のフリードリヒ2世による、宗教的寛容さ、司法制度の改革、法制度の統一、

理性を根拠とする万人平等の発想、中央集権である。

そしてもう一つは、新しい知識人階級への精神的な指導者としての役割である。

サークルやコーヒーハウスでの議論や、新聞や雑誌である。

啓蒙思想はそれまで帰属する身分や職能に閉じ込められていた人々を、自立した個人として広い世界へと解放した。

ゲーテやシラー、カント、フィヒテ、ヘルダー、ヘーゲルなどは、個人の精神の解放の結晶だった。

◇◇

フランスではフランス革命が起き、プロイセンではプロイセン改革が起きた。

ドイツの市民たちはフランス人権宣言など革命の解放的側面を、啓蒙理念の勝利ととらえて歓迎した。

しかし、ジャコバン派の恐怖政治により、革命に好意的であったドイツの市民たちを一気に離反させた。

ドイツはフランスとの干渉やその失敗、干渉戦争の結果、112の領邦が解体、41の帝国自由都市が地位を失った。

西南ドイツ諸領邦は、帝国から離脱してライン同盟を結成し、ナポレオンの保護下に入った。

神聖ローマ皇帝フランツ2世は退位し、オーストリア皇帝と称した。

神聖ローマ帝国は崩壊した。

◇◇

プロイセンでは、神聖ローマ帝国の崩壊とともに、多くの領土を獲得した。

その諸連邦は、新しい状況にあわせて改革する必要に迫られた。

これら19世紀初頭の諸改革は、近代国民国家に向けての一歩となった。

行政の効率化、国民の積極的な奉仕、経済活動の自由化、農民解放、一般兵役の導入による軍制改革、教育改革など。

◇◇

ナポレオンはロシアへの遠征をすると、モスクワからの退却時に壊滅に陥り、

プロイセンは寝返って、ロシア軍とともにナポレオンを攻撃した。

しかし、これだけでは打破できず、その後にオーストリアが味方につき、

ドイツ諸連邦がライン同盟から離脱すると、戦況が有利に展開した。

「諸国民戦争」の名で知られるライプツィヒの戦いでフランス軍を破り、フランス軍はドイツ国内から撤退した。

フランス本土の戦いでも追い詰められたナポレオンは、退位を余儀なくされた。

戦後は、オーストリアの発言力が増大し、ヴィーン会議によって、ヨーロッパの国際秩序をフランス革命以前に戻そうとした。

そして、旧来の領邦を整理し、主権を持つ領邦の連合体である「ドイツ連邦」が誕生した。

◇◇

ナポレオンからの解放として、ドイツへの祖国愛やフランスへの抵抗を、ジャーナリストや詩人が呼びかけ、大学生や手工業者、農民が義勇軍に参加した。

その熱狂を背景に、ドイツ人の統一国家建設の機運も生まれる。

憲法制定や議会設立を求める声が高まった。

一時は鳴りを潜めていた自由と統一の活動は、七月革命とともに再び活性化した。

1840年代半ばの経済危機・社会危機とともに、三月革命が起きた。

フランクフルトではパウロ教会で、最初の国民議会が開かれた。

革命の結果、プロイセンを含む全邦国が憲法と議会を持った。

◇◇

プロイセンとオーストリアが対立する戦争の中で、ドイツ連邦は分裂し、

プロイセンは同盟国19か国とともに「北ドイツ連邦」を成立させた。

戦争に敗れたオーストリアは、オーストリア=ハンガリー帝国となった。

プロイセン主導でドイツ統一を推し進めることになり、プロイセン王を皇帝とするドイツ帝国が成立した。

◇◇

ドイツ帝国は、皇帝を頂点とする立憲君主国家だ。

ビスマルクの時代は、強力な指導力ととも帝国の国内は安定に向かった。

政教分離や、社会主義者を鎮圧する一方で、社会保険制度を制定する、あめとムチの政策を行った。

次に、若い皇帝ヴィルヘルム2世のもとで、ビスマルクは退陣した。

◇◇

第一次世界対戦。近代兵器の登場。大戦中のソ連の誕生。

ドイツは全力で戦ったが、敗戦が避けられなくなり、革命とともに、「ドイツ共和国」の発足を宣言して、

ヴィルヘルム2世はオランダに亡命し、ドイツ帝国は崩壊した。

◇◇

敗戦後、革命騒動とともに、選挙が行われ、社会民主党が第一党となり、中央党、民主党とともに連合政権を担った。

文豪ゲーテゆかりの小都市ヴァイマルで初回の議会を開いたため、この共和国はヴァイマル共和国と呼ばれる。

帝政時代には想像も出来ないような幅広い社会的権利を認めた。

連合国側はヴェルサイユ条約を提示した。苛酷な内容と強制講和を定めたこの条約に、世論は激昂した。

共和国打倒と帝政復活をめざす右翼のクーデターなどが突発する。

ドイツは、天文学的な1320億マルクの賠償額を背負った。

人民党のシュトレーゼマンは、レンテンマルクによる通貨改革などを実施し、インフレを終息へと導いた。

シュトレーゼマンは、アメリカをドイツの味方にし、ロカルノ条約を締結し、対ソ関係を改善した。

反戦、平和運動である「汎ヨーロッパ運動」、右翼大衆運動など。

第一次世界大戦の英雄ヒンデンブルクが大統領に当選する。

さまざまな政党の争いとともに、ヒンデンブルクの大統領緊急令により、周辺の官僚によって政策を施行するスタイルが定着した。

ナチ党が台頭する。「右からの反対派」は、ヴァイマル体制とヴェルサイユ体制からの解放を訴えた。

◇◇

ナチ党と国家人民党との連立政権として、ヒトラー政権が始まった。

ヒトラーは授権法によって、完全に法律の制定を1人だけで行えるようにした。

第二次世界大戦。ドイツは敗北し、ヒトラーは自殺した。

ヒトラーは、ナチスドイツでユダヤ人を虐殺した。

◇◇

ドイツは分断され、西ドイツと東ドイツとなった。

東西ドイツは、どちらもナチズムの克服を目指して、民主主義と社会主義の道をたどった。

西ドイツは、西側諸国に強固に組み込む統合政策をとった。

東ドイツは、SED(ドイツ社会主義統一党)とともに、社会主義体制を建設した。

そのうち、東ドイツは西ドイツに比べて、経済的に遅れるようになった。

学生運動、東西ドイツの国交正常化、など。

ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツは統一された。

現在の統一ドイツは、EUとともにある。

旧東ドイツ地域との経済格差是正を目指し、ナチズムを克服している。

歴史 16:51

歴史が一番意味がある。

しかし、歴史は意味がない。

フランス史 20:24

フランス史。

先史・古代・中世。

先史時代、ケルト時代、ローマ帝国による支配ののちに

メロヴィング朝フランク王国が設立し、ピピンがカロリング朝を開いた。

カール大帝が西ヨーロッパの基礎を築いた。

フランク王国はのちに分裂して、フランス地域では西フランク王国が支配した。

カペーがカペー朝を開いて、フランク王国は消滅した。

フランスは封建国家となり、諸侯および中小領主の分立割拠が進んだ。

城を拠点とする領主権力の確立によって、領地ごとの小主権国家が分立した。

カペー朝が断絶すると、イギリス国王がヴァロワ朝を認めず、百年戦争になった。

フランスはルイ11世からフランソワ1世にかけて、ヴァロワ朝が王権の拡大に努めた。

ルネサンス文化が花開いた。

近世。

アンリ4世によってブルボン朝が開かれ、ルイ13世と続き、

ルイ14世によって絶対王政が繁栄した。

近代。

フランス革命でナポレオンが帝位についた(第一帝政)。その後に、ブルボン朝が復帰した。

さらに七月革命、二月革命が起きた。大統領選挙では、ルイ・ナポレオンが当選し、

ナポレオン3世として帝位についた(第二帝政)。

現代。

第三共和政となったフランスで、第一次世界大戦がはじまり、勝利した。

第二次世界大戦では、ドイツ軍に占領され、ヴィシー政権で第四共和政となった。

しかし、ドゴールとレジスタンスによってパリは解放された。

ドゴールによって第五共和政が始まり、現代のフランスとなった。