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歴史

高校の参考書を二冊参考にしています。(文英堂・数研出版)

歴史

人類の条件は、道具の製作、火の利用、言語の使用。

類人猿から進化した人類は、猿人、原人、旧人、新人と進歩した。

人類は、打製石器を用いた狩猟や採集の後に、

磨製石器を用いた農耕と牧畜の生活に移行した。

しだいに定住生活をするようになり、

財産を蓄え、文化を作り、住宅や土器を作るようになった。

その後、金属器時代、青銅器時代となった。

高度な技術を使うようになり、都市国家を作り、

文字を発明し、階級を作るようになった。

◇◇

メソポタミア、エジプトなどのオリエント文明が発生した。

民族や国家の興亡が目まぐるしかったメソポタミアでは

もっとも早く都市文明を築いたのは、シュメール人だった。

神殿や、青銅器文明、楔形文字などがあった。

その後、アッカド王朝、古バビロニア王国と続いた。

エジプトでは、古王国、中王国、新王国と続いた。

歴史

東部地中海の沿岸の諸国は、

ヒッタイト王国の後に、

アラム人、フェニキア人、ヘブライ人が活動した。

アラム文字や、フェニキア文字を発明した。

フェニキアの植民都市、カルタゴや

イスラエル王国が有名である。

◇◇

オリエント世界では、分裂の末、さまざまな統一があった。

アッシリア、新バビロニア、ペルシア帝国などである。

オリエントには多神教が栄えたが、ゾロアスター教や

一神教のユダヤ教が現れた。

学問としては、太陰暦、太陽暦、六十進法、円周の360度分割法など。

また、法律の発達があった。シュメール法典、ハンムラビ法典など。

ギリシア

ギリシアの文明は、エーゲ海を中心に、

クレタ文明とミケーネ文明と栄えた。

ポリスが栄えた。アテネやスパルタなど。

時代として、アテネの貴族政、貴族政末期、

ペルシア戦争、アテネの黄金時代、ペロポネソス戦争、

ギリシアの衰退となった。

隣国マケドニアでは、有能な王が続き、

フィリッポス2世のあと、アレクサンドロス大王となった。

ギリシア文化は、個人主義や神殿、文学や哲学と栄えた。

ローマ

ローマは、共和政の後に、帝政へと移行した。

貴族と平民、奴隷からなり、元老院と役人、民会からなりたっていた。

共和政ローマでは、王にかわって、

任期1年の2人の執政官が行政・軍事・司法を担当した。

イタリア半島を統一し、ポエニ戦争でカルタゴと戦い

地中海世界を統一した。

大土地経営の進展、無産市民の発生、騎士階級と閥族、

三頭政治とカエサルなどがあった。

その後、アウグストゥスとともに、ローマは帝国となった。

ネロのような暴君もあったが、5賢帝の時代、ローマは再盛期だった。

カラカラ帝のときローマ市民権が全属州自由民に拡大され

ディオクレティアヌス帝は帝国を4分統治した。

その後、ローマはコンスタンティノープルに首都を移し、

キリスト教は公認され、西と東のローマ帝国が分裂した。

ゲルマン民族の大移動とともに、西ローマ帝国は滅亡した。

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、1453年まで独自のキリスト教文化を築いた。

キリスト教

キリスト教が誕生した。

イエス、ペテロ、ヨハネ、パウロなど。

新約聖書になって、各地に教会が立てられた。

迫害の末、ローマの公認宗教となった。

アジア

イラン文明である、セレウコス、バクトリア、パルティア、ササン朝やゾロアスター教があった。

インド古典文明である、アーリヤ人、バラモン教、ウパニシャッド哲学、仏教、ジャイナ教があった。

インドは統一し、マガダ国、マウリヤ朝とアショーカ王、分裂、バクトリア、

クシャーナ朝とカニシカ王、サータヴァーハナ朝、があった。

仏教は発展し、大乗仏教やガンダーラ美術などがあった。

北インドは再統一し、グプタ朝やヴァルダナ朝などがあった。

ヒンドゥー教、サンスクリット文学などが発展した。

中国にも、無数の国家と文化が栄えた。

例としては孔子に始まる儒家である。

中国、モンゴル

中国、モンゴルは、多すぎるので無視します。

イスラム

イスラム世界は、マホメットとともに出現し、イスラム帝国となった。

正統カリフ時代から、ウマイヤ朝、アッバース朝などの分裂、

エジプト諸王朝、グラナダ王国、イラン人とトルコ人の勢力、

セルジューク朝、オスマン帝国、ティムール帝国、サファヴィー朝、

インドのムガル帝国などがあった。

イスラム科学や芸術、哲学や文学が生まれた。

ヨーロッパ中世

ゲルマン人の大移動とともに、ローマ帝国は滅びた。

西ゴート、東ゴート、ヴァンダル、ブルグンド、ランゴバルド、フランク、アングロ=サクソンとなった。

その後、フランク王国が成立し、メロヴィング朝、カロリング朝、カール大帝となった。

王国が解体されて中世国家が誕生し、神聖ローマ帝国(ドイツ)、イタリア、フランス(カペー朝)、となった。

他のヨーロッパ世界も、ノルマン人、イングランド、ロシア、などの起源があった。

両シチリア王国、北欧三国(ノルウェー、スウェーデン、デンマーク)が誕生し、

ヨーロッパはマジャール人やイスラムと戦った。

ローマ=カトリック教会が進展し、ビザンツ帝国も栄えた。

その後、西ヨーロッパでは封建社会となり、王や諸侯が農民、農奴を支配した。

商業とともに都市が栄え、中世都市が誕生した。

十字軍もあった。

フランスとイギリスが戦い、神聖ローマ帝国やスイスの発展もあった。

イタリアやロシア・ポーランド、北欧三国、イベリア半島などでも進展があった。

教皇権はしだいに衰退した。

文化としては、ラテン語と俗語、スコラ学、中世文学などがあった。

近世

ルネサンス芸術が栄えた。

宗教改革と宗教戦争があった。

新大陸、新航路の発見があった。

それぞれの国が絶対王政となった。

近代

フランス革命で、ナポレオンが皇帝となった。

アメリカは独立し、産業革命が起きた。

自由と民族主義の機運の中で、ドイツやイタリアが統一した。

フランスは、ナポレオン3世の後に、第三共和政となった。

それぞれが、植民地活動をし、アフリカ人やアジア人を奴隷にした。

第一次世界大戦で、ドイツ側が敗北した。

ドイツはヴァイマル共和国、ナチス・ドイツとなって

ユダヤ人を虐殺し、第二次世界大戦を引き起こした。

ロシア革命で、ロシア帝国は滅亡し、社会主義国であるソ連となった。

ドイツはソ連に敗北し、アメリカ、ソ連で西と東に分かれた。

フランスは自由フランスが連合国についたことからかろうじて勝利し、

第四共和政、第五共和政となり、

西ドイツ、イギリスなどとともに、EUを形成した。

ソ連はアメリカとの冷戦の末、解体し、ドイツは再統一し、東ドイツを連邦に吸収した。

EUは、今日も拡大している。

フランス中世

フランク王国末期の西フランクでは、王権が力を失って地方豪族が地方を守るようになった。

10世紀末、カロリング王家が断絶し、諸侯によって王位についたカペーは、地方豪族の1人であった。

カペー朝初期の歴代の王は、各地の大諸侯に対して、統制権が弱かった。

ノルマンディー公家やアンジュー伯家の勢力は強く、

11世紀中ごろ、12世紀中ごろに、相次いでイギリスの王位を兼ねるに至った。

アンジュー伯アンリによって、フランスの西半分がイギリス王家の統制化に入るという事態が生じた。

アンリが、アキテーヌ女候アリエノールを妻としていたからである。

◇◇

12世紀後半から13世紀にかけて、都市の成長と経済の発展を背景に王権は急上昇した。

フィリップ2世がイギリス王ジョンと戦い、イギリス王の大陸領土を奪回した。

内に対しては、王権の基礎を固めた。

それから、第6・7回十字軍を起こしたルイ9世である。

異端運動を平定して教会の分裂を防ぎ、南フランスを王権の統制下に入れることに成功した。

次いでフィリップ4世は、シャンパーニュを併合し、フランドル伯領の併合も狙ったが失敗した。また、教皇と争った。

1328年カペー朝の王系が絶えたあと、ヴァロワ朝が成立した。

だが、フランス王位の継承権を主張するイギリス王との間に百年戦争が起きた。

フランス

百年戦争の後に、フランス王権は国内を統一した。

フランスでもルネサンスが栄え、

宗教改革で、ユグノー戦争が起きた。

その中で、ヴァロワ朝が断絶し、ブルボン朝が始まった。

ヨーロッパ近代

ルネサンスはイタリア、フィレンツェで始まり

ダンテ、ペトラルカ、ポッカチオ、ジョット、ポッティチェリ、

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、

ティツィアーノ、ギベルティ、ドナテルロ、

ブルネレスキ、ブラマンテ、マキャヴェリ

など、イタリアの芸術家が生まれた。

◇◇

イタリア以外の芸術家は、

ネーデルラントのファン・アイク兄弟、ブリューゲル、エラスムス、

ドイツのデューラー、ホルバイン、ロイヒリン、

フランスのラブレー、モンテーニュ、

スペインのエル・グレコ、セルバンテス、

イギリスのチョーサー、トマス・モア、スペンサー、シェークスピア

と生まれた。

◇◇

科学者は、コペルニクス、ブルーノ、ガリレイ、グーテンベルク、ケプラー、

と生まれた。

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新航路や新大陸の新発見で、大航海時代が始まる。

アフリカ南端を迂回するインド航路を、ポルトガルが発見した。

ポルトガルのエンリケ王子は、その航海を奨励し、

バルトロメウ・ディアスは、アフリカ南端の喜望峰に到達し、

ヴァスコ・ダ・ガマは、インドのカリカットに到達した。

◇◇

スペインは、西回りでインドに向かい、未知のアメリカ大陸を発見した。

コロンブスが西インド諸島に到達すると、

アメリゴ・ヴェスプッチが未知の大陸と発表した。

バルボアはパナマ地峡を横断して太平洋に到達した。

イタリア人のカボットは北アメリカを探検した。

◇◇

ポルトガル人のマゼランが、マゼラン海峡を発見して太平洋に出た。

その部下が世界一周を達成した。イギリス人、ドレークが、世界周航した。

◇◇

スペイン、ポルトガルと新大陸、アジアは、

新大陸の原住民を奴隷に、銀山の採掘を行ったり、

アジアのゴア、マラッカ、マカオを拠点に、

モルッカ諸島の香料貿易を独占した。

新大陸との間では、毛織物と銀、

アジアとの間では、銀と香辛料を交換した。

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ドイツでは、宗教改革が起きた。

マルティン・ルターが、「95か条の論題」を発表し、

まず教会が罰を免除する贖宥状を批判した。

ライプチヒ討論会で、ルターは、教皇の権威を否定した。

ヴォルムス帝国議会で、神聖ローマの皇帝である、

カール5世がルターに自説の撤回を求めた。

ルターは、これを拒否し、ザクセン選帝侯フリードリヒのもとで

聖書をドイツ語訳した。

宗教改革に刺激された没落騎士は、フッテンらを指導者とする騎士戦争や、

トマス・ミュンツァーを指導者とするドイツ農民戦争で反乱を起こした。

ルター派諸侯は、皇帝に対してシュマルカルデン同盟を結んだ。

アウグスブルクの和議で、諸侯と自由都市に、ルター派かカトリック派かの選択を認めた。

◇◇

ルターの思想は、

(1)人は信仰のみによって救われる、

(2)聖書が地上における、唯一の権威である。

◇◇

スイスでも宗教改革が起きた。

ルターの影響を受けたチューリヒでのツヴァングリによる改革のあと

フランス人カルヴァンの思想が西ヨーロッパに大きく広まった。

◇◇

カルヴァンの改革は、

(1)ジュネーヴでの神政政治、

(2)教義は、予定説(魂の救いは、神によって決められている)を説き、営利・蓄財を肯定した。

カルヴァン派は、イングランドではピューリタン(清教徒)、

フランスではユグノーと呼ばれる。

◇◇

イギリスでは、ローマ教会から独立した、イギリス国教会が成立した。

◇◇

カトリック教会は、宗教改革に対抗し、対抗宗教改革を行った。

スペイン人イグナティウス・ロヨラがイエズス会を創設した。

厳しい軍隊的組織、規律を特徴とした。海外伝道を推進した。

フランシスコ・ザビエル(日本への伝道)、マテオ・リッチ(中国への伝道)。

カトリック代表が集まったトリエント公会議で、教皇至上主義など、カトリックの教義を再確認した。

◇◇

宗教戦争が起きた。

スペインでは、オランダ独立戦争、

フランスでは、ユグノー戦争、

ドイツでは、三十年戦争である。

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16~18世紀のヨーロッパでは、絶対王政が成立した。

国王が無限に近い権力を持った中央集権国家体制で、

主権国家の起源である。

没落しつつある貴族階級が、王権に頼って地位の保全をはかった。

国王は、それらの特権を保証する代わりに、それらを官僚や常備軍に編入した。

◇◇

絶対王政では、官僚制と常備軍を支柱とする。

官僚は、広い国土で集権的に行政を行うための、

国王に忠実で知識を持った王の官吏である。

封建貴族や上層市民から多く登用された。

常備軍は、統一、治安、防備、植民地獲得のための、国王の直属の軍隊である。

◇◇

経済的には、重商主義を行う。初期には、金・銀を獲得する重金主義がとられた。

後には、貿易の輸出超過から貨幣の獲得をはかる、貿易差額主義がとられた。

◇◇

思想的には、王権は神から与えられたとする、王権神授説がとられた。

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スペインでは、ハプスブルク家のカルロス1世や

フェリペ2世による絶対王政であった。

スペイン、ネーデルラント、ナポリ、シチリアなど、海外植民地を継承し、

レパントの海戦でオスマン帝国を撃破し、

ポルトガルを併合して、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた。

ネーデルラント(オランダ)が独立し、無敵艦隊が敗北すると、衰退した。

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イギリスでは、テューダー朝を開いたヘンリ7世が絶対王政を基礎立て、

ヘンリ8世が国教会を創立し、エリザベス1世で全盛期を迎えた。

エリザベス1世は、

(1)統一法でイギリス国教会を確立し、

(2)オランダ独立を支援し、

(3)東インド会社を設立し

(4)救貧法で貧民を救済し

(5)文芸を発展させる

と、治世を行った。

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フランスの歴代の王は、カルヴァン派(ユグノー)を抑圧した。

幼少のシャルル9世が即位すると、

その母后はカトリック派貴族を抑えるためにユグノーに寛大な政策をとった。

しかし、かえって対立を激化させ、ユグノー戦争が始まった。

この内乱は外国の干渉を受けて30年続いた。

この間、サン・バルテルミの虐殺が起きて、

国王アンリ3世が暗殺され、ヴァロア朝が断絶した。

◇◇

ユグノーの首領アンリ4世が即位し、ブルボン朝を開いた。

国内統一のためカトリックに改宗したが、

ナントの勅令でユグノーに信仰の自由を認めた。

ユグノー戦争は終結した。

◇◇

アンリ4世はシュリで財政再建につとめた。

東インド会社を設立し、カナダへの入植も行った。

◇◇

その後、幼少のルイ13世が即位し、

宰相のリシュリューのもとで王権が強化されていった。

さらに、幼少のルイ14世が即位した。

宰相のマゼランは、三十年戦争を有利に終わらせ、フロンドの乱を鎮圧した。

◇◇

ルイ14世は、フランス絶対王政の絶頂期である。

内政では、強力な中央集権を実現した。

王権神授説、

重商主義、

文芸を保護し(とくに、ヴェルサイユ宮殿)、

ユグノーを抑圧した(しかし、ユグノーが国外に逃亡し、経済には打撃だった)。

◇◇

外政では、侵略戦争を実施した。

南ネーデルラント継承戦争、

オランダ侵略戦争、

ファルツ戦争、

スペイン継承戦争など。

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ドイツでは、オーストリアの属領ベーメンでの新教徒反乱で三十年戦争が起きた。

宗教戦争として始まったが、外国の介入で国際戦争に発展していった。

新教徒優勢のうちに、ウェストファリア条約で終結した。

この条約で、ヨーロッパ主権国家体制が確立した。

カルヴァン派を公認し、

ドイツにおける領邦主権を確立し、

スイス、オランダの独立承認などをした。

◇◇

ホーエンツォレルン家が支配したブランデンブルク選帝侯国で、

東方のプロイセン公国を合併してプロイセンが成立した。

第2代の王、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、軍備を強化し、絶対王政を推進した。

第3代の王、フリードリヒ2世のとき全盛となった。

啓蒙専制君主、オーストリア継承戦争、七年戦争など。

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ロシアでは、イヴァン4世がツァーリの称号を正式に採用し、

大貴族を抑えて専制政治を強化した。

また、コサックの首長イェルマークにシベリアを開拓させた。

その後、帝位争いのため内戦が続く。

ミハイル・ロマノフが帝位につきロマノフ朝を創始した。

農奴制を強化した。

それによりコサックの首長ステンカ・ラージンが大農民反乱を起こしたが、鎮圧された。

ロシアの絶対王政(ツァーリズム)は、ピョートル1世(大帝)によって確立し、エカチェリーナ2世のもとで全盛期を迎えた。

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ポーランドは、ヤゲウォ朝が断絶したあと、選挙王制をしていた。

王位継承をめぐる内戦が続き、

ロシア、プロイセン、オーストリアなどの干渉をうけ

3度分割された。

第2回の分割以後、愛国者コシューシコの義勇軍がロシアと戦って破れ

第3回の分割で、ポーランドはいったん滅亡した。

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イギリスでは、エリザベス1世のあとジェームズ1世が、

ステュアート朝を開いて王権神授説を唱え、議会を無視して専制政治を行った。

宗教では、国教を強要したため、清教徒の反発を受けた。

◇◇

ジェームズ1世の政策を継承したチャールズ1世に

議会は権利の請願を提出した。

しかし、王は議会を解散して以後11年議会を開かなかった。

スコットランドでは、国教の強要から長老派の反乱が起きた。

王は、戦費を得るため議会を開いたが、議会は課税を拒み、王を非難して内乱に発展した。

この内乱では、初めは王党派が有利であったが、

議会派のクロムウェルの活躍で形成は逆転した。

王は処刑され、共和政が樹立した。

◇◇

クロムウェルの独裁は、航海法を制定してオランダに打撃を与えた。

国内では、終身の護国卿となり、

清教主義にもとづく厳格な政治をして議会を解散し、

軍事的独裁政治をした。

この独裁政治に対し、国民の不満が高まり、死後、共和政は崩壊した。

◇◇

その後、ステュアート朝が復活し、

チャールズ2世やその次のジェームズ2世は専制政治を行った。

議会はこれに対抗し、

新教徒の王女メアリとその夫オランダ総督オラニエ公ウィレムを迎え、

王を追放して無血革命の名誉革命を成し遂げた。

◇◇

チャールズ2世は、カトリック復活を計画、専制政治を推進した。

議会は王に対抗し、審査法や人身保護法を制定した。

議会は2派に分裂し、トーリー党とホイッグ党になった。

◇◇

ジェームズ2世は、カトリックの保護、絶対王政の復活をした。

名誉革命で、ジェームズ2世はフランスに亡命した。

ジェームズ2世の長女メアリとその夫オラニエ公ウィレムは、

議会が提出した権利の宣言を承認して即位した。

議会は、権利の章典として制定した。

これは市民的自由を保障し、王権に対する議会の優位を確定するもので、

イギリス立憲政治の基礎が確立した。

◇◇

ウィリアム3世のとき、議会の多数党で組閣する政党政治が定着した。

彼の死後、メアリの妹アンが即位した。

その治世の中で、イングランドとスコットランドが合併して大ブリテン王国が設立した。

アンの死でステュアート朝が断絶すると、

遠縁のドイツのハノーヴァー選帝侯が迎えられ、

ジョージ1世となり、ハノーヴァー朝が始まった。

英語がわからず、イギリスを好まず故郷ハノーヴァーに居ることが多かったことから、

財務はほとんど大臣に委ねられた。

その結果、ホイッグ党のウォルポールが閣議を主宰して実権を握り、

内閣が議会に対して責任を負う責任内閣制が確立した。

====

絶対王政の時代、ヨーロッパ諸国は植民地獲得のため海外に進出した。

ポルトガルは、アジアでは、ゴア、マラッカ、マカオを拠点に香辛料貿易を独占し、

アメリカ大陸では、ブラジルを領有した。

◇◇

スペインは、アジアでは、マニラを拠点に中国貿易に従事し、

アメリカ大陸では、ブラジルを除くラテン・アメリカを領有して

奴隷を酷使して鉱山を採掘した。

◇◇

オランダは、アジアでは、バタヴィア(現ジャカルタ)を拠点に東インド会社を設立し、

アンボイナ事件でインドネシアからイギリス勢力を一掃し、台湾を占領した。

アメリカ大陸では、ニューアムステルダム(後のニューヨーク)を拠点に西インド会社を設立し、

ニューネーデルラント植民地を建設した。

◇◇

イギリスは、アジアでは、マドラス・ボンベイ・カルカッタを拠点に東インド会社を設立し、

アメリカ大陸では、ヴァージニア植民地、ニューイングランド植民地を建設した。

◇◇

フランスは、アジアでは、ポンディシェリ、シャンデルナゴルを拠点に東インド会社を設立し、

アメリカ大陸では、カナダのケベックに進出、西インド会社設立、ルイジアナ植民地を建設した。

◇◇

英蘭戦争でオランダを破ったイギリスは、フランスと、戦争を繰り返した。

植民地でも争いを続け、その後も、

アメリカ独立戦争、フランス革命戦争、ナポレオン戦争と続いた。

ヨーロッパでの戦争と並行して、北アメリカの植民地では、

ウィリアム王戦争、アン女王戦争、ジョージ王戦争、

フレンチ・インディアン戦争が起き、イギリスは勝利した。

フランスがヨーロッパでの七年戦争に主力を注いだのに対し、

イギリスは植民地戦争に主力を注いだ。

ケベックを占領して、イギリスの勝利を不動のものとした。

インドでの抗争では、フランスのインド総督デュプレクスの活躍で、

はじめはフランスが優勢だった。

しかし、彼が本国に召還されると、

今度はイギリス東インド会社書紀クライヴが活躍し、

プラッシーの戦いでフランスとベンガル地方政権の連合軍を破って、

イギリスのインド支配権を画一した。

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絶対王政下の文化は、君主の権力を誇示する宮廷文化が発達する一方で、

市民階級の成長による市民的文化が誕生した。

◇◇

美術は、17世紀に豪壮華麗なバロック式が流行し、

18世紀に繊細優雅なロココ式が流行した。

◇◇

バロック式

ルーベンス、レンブラント、エル・グレコ、ベラスケス、ヴェルサイユ宮殿など。

◇◇

ロココ式

ワトー、サンスーシ宮殿など。

◇◇

文学は、フランスでは、調和と規則を重視する古典主義文学が、

イギリスでは、17世紀後半にピューリタン文学、18世紀前半には市民社会の文学が栄えた。

フランス:コルネイユ、ラシーヌ、モリエール

イギリス:ミルトン、バンヤン、デフォー、スウィフト

◇◇

哲学は、経験論と合理論。

経験論は、それぞれの事実から法則を導き出す帰納法を特徴とする。

フランシス・ベーコン、ホッブズ、ロック、ヒューム。

◇◇

合理論は、命題を論理的に発展させて結論を導き出す演繹法を特徴とする。

デカルト、スピノザ、ライプニッツ。

◇◇

自然科学は、ニュートン、ラプラース、ホイヘンス、ボイル、

ラヴォワジエ、ハーヴェー、リンネ、ジェンナー。

◇◇

思想は、

自然法、社会契約説、国際法などの、グロティウス、ホッブズ、ロック。

啓蒙思想の、モンテスキュー、ヴォルテール、ルソー。

経済は、重農主義の、ケネー、テュルゴー、自由主義の、アダム・スミス。

近代世界の成長

イギリスとアメリカは対立し、独立戦争になった。

1775: レキシントンの戦い

1776: トマス・ペインの「コモン・センス」

1776: 独立宣言

1777: サラトガの戦い

1778: フランスの対英宣戦

1780: 武装中立同盟結成

1781: ヨークタウンの戦い

1783: パリ条約

◇◇

独立後のアメリカ

(1) 連邦派と反連邦派が対立し、一致した政治は困難だった。

(2) 1787年に合衆国憲法が制定され、連邦制、三権分立制などが定められた。

(3) 1789年、ワシントンが初代大統領になり、首都はワシントン特別区におかれた。

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フランス革命。

(1) 聖職者の第一身分と、貴族の第二身分への、市民・農民・労働者の第三身分の不満の高まり。

(2) 農村の飢きん、都市の物価上昇の深刻化。

(3) 啓蒙思想の普及、アメリカ独立革命の成功による刺激。

◇◇

過程。

まず、ルイ16世の財政改革である。テュルゴーやネッケルを財務長官に起用し、特権身分に課税を行った。

1789.5: 三部会の召集

1789.6: 国民議会の成立、球戯場の誓いで憲法の制定を約束。

1789.7.14: バスティーユ牢獄襲撃 (フランス革命開始)

1789.8: 国民議会の2つの宣言 (封建的特権廃止宣言、ア・ファイエット起草の人権宣言)

1789.10: ヴェルサイユ行進

国民議会の諸改革 - ギルド廃止、アシニャ紙幣発行、メートル法の実施決定

1791.9: 91年憲法の制定 - 立憲王政、制限選挙を規定。

◇◇

ルイ16世は王妃マリー・アントワネットの画策で国外逃亡を試みたが

途中で捕らえられた。1791年10月に成立した立法議会では、

初め、立憲君主主義のフィヤン派と共和派のジロンド派の対立が見られた。

1792年に政権を握ったジロンド派は、革命に干渉するオーストリア・プロイセン軍に宣戦し、革命戦争が始まった。

◇◇

1792.4: 革命戦争の開始

1792.8.10: 8月10日事件

1792.8: 王権停止宣言

◇◇

1792年、立法議会にかわって9月に開かれた国民公会は、

ヴァルミーの戦いでの初勝利にフランス国内が沸き立つ中

9月21日に王政を廃止し、共和政の樹立を宣言した。

また国民公会内部では、共和派の中でも小市民、農民、サンキュロットの支持を得た

ジャコバン派が勢力を伸ばし、ジロンド派と対立した。

1793年1月、ジャコバン派の主張でルイ16世が処刑された。

◇◇

ジャコバン派は、恐怖政治を行った。

(1) 公安委員会

(2) 革命裁判所

(3) ギロチン

◇◇

主な政策は、

ジャコバン憲法(実施されず)、

封建的特権の無償廃止、

最高価格令(インフレを抑えるためだったが、失敗)

革命暦の制定、カトリックの廃止など。

◇◇

指導者は、ロベスピエール、マラー、ダントン、エベールら。

◇◇

1794年7月のクーデターで、ロベスピエールが処刑され、恐怖政治が終わった。

◇◇

国民公会は、ロベスピエールを倒したジロンド派を中心に、

制限選挙を復活した新憲法を制定し、

5人の総裁と二院制議会を特徴とする新政府、総裁政府が成立した。

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そのうち、ナポレオンが頭角を現す。1796年、イタリア遠征軍総司令官として活躍し、

1796年、オーストリア攻撃、1797年、カンポ・フォルミオ条約、

1798年、エジプト遠征、1799年、第2回対仏大同盟、

1799年11月、ブリュメール18日のクーデター、

ナポレオンは、クーデターを起こして総裁政府を倒し、

3人の統領と4院制の議会を持つ統領政府を樹立した。

◇◇

第1統領となったナポレオンは、事実上の独裁を開始した。

◇◇

内政、革命期の混乱の収拾

(1) フランス銀行の創設

(2) 教皇との宗教協約で、カトリックの復活

(3) ナポレオン法典、私有財産の不可侵などを定めた、近代民法の模範

◇◇

外交

イギリスと、アミアンの和約を結んだ。第2回対仏大同盟は解体。

◇◇

1802年、終身統領となったナポレオンは、

1804年に国民投票で圧倒的多数の支持を得て皇帝の位につき、

ナポレオン1世と称して帝政(第一帝政)を開始した。

◇◇

帝位についたナポレオンは、対外侵略を開始した。

◇◇

(1) 第3回対仏大同盟。フランスの強大化を恐れ、

イギリスのビットが提唱し、ロシア、オーストリア、スウェーデンと結成した。

ナポレオンはイギリス侵入を企てたが、

1805年ネルソンの率いるイギリス海軍にトラファルガーの海戦で敗れた。

(2) ドイツ侵略。アウステルリッツの三帝会戦。

1805年、フランス軍がロシア、オーストリア連合軍を破る。

第3回対仏大同盟は解体した。

(3) ライン同盟。

1806年、ナポレオンは西南ドイツの諸国をあわせてライン同盟を結成した。

神聖ローマ帝国は消滅した。

(4) ティルジット条約。

1807年、プロイセン、ロシアの連合軍を破って締結した。

(5) 大陸封鎖令。

1806年、イギリス商品を大陸からしめ出して、イギリスに打撃を与えた。

◇◇

ナポレオンは、その後、

被支配諸国民の反抗、ロシア遠征での退却、

第4回対仏大同盟、ライプチヒの戦い(諸国民戦争)での大敗、

ナポレオンの退位とパリ陥落、

などで没落した。

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1814~15年、ナポレオン戦争後の国際秩序の再建のためにウィーン会議が開かれた。

オーストリア外相メッテルニヒが議長で、

フランス外相タレーランが唱えた正統主義を基本原則とし、

大国の勢力均衡の立場で進められた。

1815年、ウィーン議定書が調印された。

◇◇

その結果、ヨーロッパの反動的秩序(ウィーン体制)を維持するための組織が結成された。

1. 神聖同盟(1815):ロシア皇帝アレクサンドル1世の提唱

2. 四国同盟(1815):イギリスの提唱で、オーストリア、プロイセン、ロシアが参加した。

1818年にフランスが参加して五国同盟に発展した。

◇◇

ラテン・アメリカ諸国が独立した。

ギリシアも独立した。

◇◇

フランスではルイ18世に続いて、シャルル10世が即位する。

反動政治を強化し、国民の不満は高まった。

1830年のアルジェリア遠征の直後、パリ市民が蜂起して、国王を追放した。

自由主義者、オルレアン家のルイ・フィリップを次期国王に迎え、

七月王政が成立した。

◇◇

フランスでは、中小資本家や労働者層が大ブルジョアの利益を優先する七月王政に不満を持っていた。

社会主義者や共和主義者が、選挙法の改正を要求したが、

1848年2月、この要求が拒否されると、民衆の怒りが爆発し、

パリで革命が起こった。

国王、ルイ・フィリップはイギリスに亡命し、

パリ市民は臨時政府を樹立した。これが第二共和政である。

この革命を二月革命という。

臨時政府では、社会主義者と共和主義者が対立した。

4月の総選挙で社会主義者側は大敗し、共和派の政府が成立。

労働者は、これを見て六月暴動を起こした。

11月に憲法が制定され、12月の大統領選挙でナポレオン1世の甥にあたるルイ・ナポレオンが当選した。

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社会主義の思想は、ロバート・オーウェン、サン・シモン、フーリエが先駆し

マルクスとエンゲルスが共産党宣言、資本論を発表した。

インターナショナルを結成した。

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イギリスでは、審査法の廃止、カトリック教徒解放法制定、

第1回選挙法改正、チャーティスト運動、工場法制定、

東インド会社の中国貿易独占権を廃止、

穀物法廃止、航海法廃止、など、種々の改革が行われた。

◇◇

イギリスは産業革命をいち早く体験し、

19世紀半ばのヴィクトリア女王のもとで黄金期を迎えた。

保守党のディズレーリや自由党のグラッドストンらによって重要な改革が実現された。

第1回選挙法改正の後、トーリー、ホイッグ、両党はそれぞれ

保守党、自由党と呼ばれるようになった。

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フランスでは、ルイ・ナポレオンが1852年国民投票で支持を得て、

皇帝となり、ナポレオン3世と称した。これが、第二帝政である。

パリ都市計画、カトリック保護、労働条件の改善などの政策に加え、

言論の自由を抑え、労働者の団結権を禁止した。

人気を維持するために次々と戦争を行ったが、メキシコ遠征の失敗で信望を失った。

プロイセンと普仏戦争を始めたが、1870年フランス東部のセダンで捕虜となって敗れた。

第二帝政は崩壊した。

◇◇

第二帝政の崩壊後、国防政府が成立してプロイセンに対抗したが、

1871年1月パリが陥落し、ティエールを首班とする臨時政府がヴェルサイユに成立し、

ドイツと屈辱的な講和条約を結んだ。

これを不満とするパリ市民、労働者は1871年3月、

世界最初の労働者中心の政権である、パリ・コミューンを樹立したが、

わずか70余日で臨時政府軍とドイツ軍に鎮圧された。

◇◇

その後、共和派と王党派の争いが続いた。

共和派が優勢となり、1875年には三権分立、普通選挙、

任期7年の大統領制、二院制などを定めた第三共和国憲法が制定された。

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イタリア。

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ウィーン会議後、マッツィーニ率いる青年イタリアのイタリア統一運動は、

フランスに鎮圧されて失敗した。

その後、統一運動は、国王ヴォットーリオ・エマヌエーレ2世のもと、

カヴールを登用して国力を向上していたサルデーニャ王国を中心に展開していった。

1859年、イタリア統一戦争を皮切りにイタリアは統一した。

◇◇

1. イタリア統一戦争、フランスと結んでオーストリアに宣戦、ロンバルディアを獲得した。

2. 中部イタリア併合。かわりに、サヴォイア、ニースをフランスへゆずった。

3. 青年イタリアのガリバルディが、赤シャツ隊を率いて、シチリア、ナポリを征服した。

4. イタリア王国が設立した。

5. 普墺戦争でヴェネツィアを併合した。

6. 普仏戦争でローマ教皇領を併合した。

7. イタリア統一が完成した。

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ドイツ。

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ウィーン会議でドイツ連邦が生まれたが、いぜん政治分裂状態にあった。

1834年にドイツ関税同盟が発足して経済的統一が成立したことで、

ドイツ統一は加速した。

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1848年のドイツ三月革命の際、フランクフルト国民議会では、

ドイツ統一をオーストリア中心に行う大ドイツ主義と、

オーストリアを排除してプロイセンを中心に行う小ドイツ主義の対立が見られた。

論争の結果、小ドイツ派が勝利し、プロイセン王をドイツ皇帝におしたが、

王が拒否して統一は失敗に終わった。

1861年、プロイセン王ヴィルヘルム1世が首相にユンカー出身のビスマルクを登用した。

ビスマルクは強大な国家権力と軍事力によってドイツ統一をおし進めた。

◇◇

1. デンマーク戦争。オーストリアと結んで、シュレスヴィヒ、ホルシュタインを奪取した。

2. 普墺戦争。シュレスヴィヒ、ホルシュタインの管理をめぐる争いで、

プロイセンが勝利した。北ドイツ連邦を結成した。

3. 普仏戦争。ナポレオン3世がスペイン王位継承問題でプロイセンに宣戦した。

プロイセンが勝利し、フランスのアルザス・ロレーヌ地方を獲得した。

4. ドイツ帝国が成立した。皇帝ヴィルヘルム1世、宰相ビスマルク。

◇◇

ドイツ帝国の特徴。ドイツ帝国憲法を制定し、立憲主義国家の体裁を持つ。

(1) 連邦国家、プロイセン王がドイツ皇帝をかねた。

(2) 皇帝、政府、軍部の力が強く、議会の力は弱い。

(3) 国家主義、軍事主義の色彩が濃い。

◇◇

ビスマルクの政治。

内政は、南ドイツのカトリック教徒の中央党と対立するが、

社会主義勢力の台頭に対処するため妥協した。

1878年に社会主義者鎮圧法を制定し、その一方では種々の社会主義政策を実施した。

経済は、自由貿易政策から保護貿易政策への転換をした。

外交は、ヨーロッパの平和維持とフランスの孤立化を画策した。

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ロシア。農奴制とロマノフ朝の皇帝専制政治であるツァーリズムがしかれていた。

フランス革命などによる自由主義の波が押し寄せ、

1825年、ニコライ1世の即位に反対して青年将校らが、

デカブリストの乱を起こすが、鎮圧された。

ニコライ1世は、反動政治を行い、反自由主義、反革命政策をとった。

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アレクサンドル2世は、クリミア戦争の敗北をきっかけに、近代化を実行した。

(1) 農奴解放令

(2) 地方議会の設置や司法制度の改革など

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農民の啓蒙と決起を目指す、ナロードニキ運動などがあった。

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アメリカ合衆国。

19世紀初頭、第3代大統領ジェファソンは、州権主義を基調にしながら国家統一に努力していた。

1. 米英戦争

2. モンロー宣言。第5代大統領モンローによる。アメリカとヨーロッパの相互不干渉を宣言した。

3. 第7代大統領ジャクソン。初の西部出身の大統領。

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領土が拡大し、南北戦争では、北部が勝って、アメリカは自由な国になった。

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19世紀の欧米文化。

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文学。古典主義、ロマン主義、写実主義、自然主義、世紀末文学。

ゲーテ、シラー、ノヴァーリス、シュレーゲル兄弟、グリム兄弟、

ハイネ、スタール夫人、シャトーブリアン、ユーゴー、アンデルセン、

スコット、バイロン、エマーソン、ホーソン、ホイットマン、

プーシキン、スタンダール、バルザック、フロベール、サッカレー、

ディケンズ、ゴーゴリ、ドフトエフスキー、トゥルゲーネフ、トルストイ、

チェーホフ、ゾラ、モーパッサン、イプセン、ワイルド、ボードレール、

マラルメ、ランボー。

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美術と音楽。美術は、古典主義、ロマン主義、写実主義、印象派、後期印象派。

ダヴィド、アングル、ドラクロワ、ドーミエ、クールベ、コロー、

ミレー、マネ、モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ゴーガン、ゴッホ

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、

ワーグナー、シューマン、ショパン、ドビュッシー

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哲学。カント、ヘーゲル、フォイエルバッハ、ベンサム、

ジョン・ステュアート・ミル、コント、ショーペンハウエル、

キェルケゴール、ニーチェ。

人文・社会科学。アダム・スミス、マルサス、リカード、

ジョン・ステュアート・ミル、リスト、マルクス、エンゲルス、

ランケ、ドロイゼン、サヴィニー

自然科学。ファラデー、マイヤー、ヘルムホルツ、リービヒ、

レントゲン、キュリー夫人、ダーウィン、メンデル、パストゥール、

コッホ、ノーベル、モールス、ベル、エディソン、ダイムラー、ライト兄弟

植民地、帝国主義、戦争

帝国主義によって、ヨーロッパ各国はアフリカ、太平洋、

アジアなど、世界各国に植民地を作っていった。

その逆の思想として、平等の社会主義が台頭した。

世界中が戦う第一次世界大戦が起き、ナチス・ドイツによって第二次世界大戦、

ロシアのレーニン、ボリシェヴィキによるロシア革命で、

世界最初の社会主義国家であるソビエト連邦が成立した。

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インドはイギリスによって植民地化された。

東南アジアも植民地化された。

オランダのインドネシア支配、スペインのフィリピン支配、

イギリスの各地進出、フランスのインドシナ半島支配などがあった。

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帝国主義。

帝国主義とは、資本主義の高度に成長した段階。

独占資本主義段階の国家による勢力拡張の動きを言う。

◇◇

イギリスの帝国主義。

保守党のディズレーリ内閣時代に開始し、

ジョゼフ・チェンバレンの時、最高潮になった。

植民相チェンバレンは、国内の社会問題解決のため、

帝国主義政策を推進した。

南アフリカ戦争を指導する一方、

本国と自治領・植民地の関係強化のために

イギリス植民地議会を開催した。

労働運動。フェビアン協会などの社会主義団体と労働組合が

1900年労働代表委員会を結成、1906年に労働党と改称した。

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フランス。軍部や右翼の台頭。

労働運動。サンディカリズム(過激な労働組合運動)、フランス社会党。

◇◇

ドイツ。1890年のビスマルク退陣の後、ヴィルヘルム2世の治世。

ビスマルク退陣で、社会主義者鎮圧法が廃止、社会民主党が合法政党になった。

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ロシアでは、マルクス主義が広がり、1898年ロシア社会民主労働党が成立した。

ロシア第一革命で、労働者の自治組織としてソヴィエトを結成した。

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列強は、さらに、アフリカ、太平洋を分割し、

植民地を増やしていった。

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中国分割、アジアの民族運動などがあった。

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ドイツは、1873年、ロシア、オーストリアと三帝同盟を結ぶ。

1879年、ロシアに対抗するため、オーストリアと独墺同盟を結ぶ。

1882年、ドイツ、オーストリア、イタリアの三国同盟を結ぶ。

1887年、ロシアとフランスの接近を防ぐため、ドイツはロシアと再保障条約を結ぶ。

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1891年、ロシアはドイツから離れ、フランスと露仏同盟を結ぶ。

1902年、イギリスは日本と日英同盟を結ぶ。

1904年、イギリスとフランスは英仏協商を結ぶ。

1907年、ロシアとイギリスは英露協商を結ぶ。

三国同盟と三国協商の全面対決の時代となった。

◇◇

世界大戦。

第一次世界大戦は、総力戦と呼ばれ、戦車や飛行機、毒ガスなどを初めて使った。

同盟国である、ドイツ、オーストリア、オスマン帝国、ブルガリア、などと

連合国である、イギリス、フランス、ロシアなどが戦った。

日本、イタリア、アメリカ合衆国も連合国側に立ち参戦した。

大戦はドイツが負けた。

レーニンによるロシア革命が起きた。ソ連が樹立した。

◇◇

ヴェルサイユ体制は、ドイツに過酷な内容を強制した。

ソ連では、レーニンの死後、スターリンが指導者になった。

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世界恐慌が起きた。

イタリアでは、ムッソリーニによるファシズム、

ドイツでは、ヒトラーによるナチス・ドイツとなった。

第二次世界大戦では、連合国が勝利し、枢軸国が敗北した。

枢軸国は、ドイツ、イタリア、日本、

連合国は、イギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中華民国など。

冷戦

第二次世界大戦以後

ドイツは分断され

アメリカ、西ヨーロッパ中心の西側諸国と

ソ連、東ヨーロッパ中心の東側諸国による

冷戦が始まった。

◇◇

フランスでは第四共和政、

イタリアは王政から共和政へと移行した。

ドイツは、分断の中で、ナチズムの克服を目指し、

西ドイツは、強固に西側諸国と統合する路線、

東ドイツは、SED(ドイツ社会主義統一党)による社会主義体制を建設した。

◇◇

アメリカのトルーマン大統領は、共産主義拡大の防止のため

封じ込め政策を行った。

中国では、中華人民共和国が設立した。

西、東、両陣営の軍事連合である、NATOとワルシャワ条約機構が設立した。

◇◇

中東では、アラブ諸国連合が設立するとともに

ユダヤ人国家であるイスラエルが生まれた。

◇◇

朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、キューバ危機などがあった。

スターリンの死後、フルシチョフが書記長につき、スターリン批判を行った。

様々なアジア諸国が独立した。

◇◇

フランスでは、ドゴール大統領による、大統領権限を強化した、第五共和政に移行した。

西ドイツは、自動車を中心に産業を発展させ、奇跡の経済成長をした。

◇◇

ドゴールの後、ドゴール派のポンピドゥー、独立共和派のジスカールデスタン、

左派のミッテラン、右派・ドゴール派で、親日派のシラク、

ユダヤ系で移民制限や新自由主義を掲げたサルコジが続いた。

◇◇

西ドイツの首相は、アデナウアー、エアハルト、キージンガー、

ブラント、シュミット、コールと続いた。

キリスト教民主・社会同盟、社会民主党が競って首相となった。

東ドイツの書記長は、ウルブリヒト、ホーネッカーと続いた。

◇◇

そのうち、東ドイツやソ連中心の東側諸国は、

西側に比べ、経済的に遅れるようになった。

◇◇

様々な混乱の中、世界は続いた。

ケネディに代表されるアメリカの大統領、

ソ連のブレジネフ書記長やEUの発足など。

◇◇

ドイツは、ベルリンの壁開放で、再統一した。

今では、経済格差や差別を乗り越えながらも、すばらしい国になった。

◇◇

ソ連は、ゴルバチョフのグラスノスチとペレストロイカによって、

解体し、無くなった。

エリツィン大統領のロシア連邦を中心とする、CISを結成した。

自由になった。

プーチンは、自由で、強いロシアを目指している。

◇◇

東欧諸国も、民主主義になって、民族国家の独立を果たした。

◇◇

ドイツは統一後、東ドイツのSEDは民主社会党と改組した。

社会民主党のシュレーダーと、連立与党の緑の党で外相のフィッシャー政権となり、

その後、キリスト教民主同盟で女性初の首相であるメルケルが就任した。

◇◇

フランス中心のEUによる統合が進み、

アメリカ中心の世界になった。